見城徹のトーク
トーク情報見城徹 YumikoYumiko 見城さんが日々755に投稿される内容は、映画、本、演劇、音楽、アート、ファッション、グルメ、スポーツ──ジャンルも分野も実に多岐にわたる。その守備範囲の広さには驚かされるばかりだ。
見城さんが良いとおっしゃるものには、すぐに共感できるものもあれば、一見して馴染みのないものもある。
自分ひとりでは決して出会わなかったであろう本や映画に触れ、「ノイズ」を感じることもあるが、むしろそのノイズが大きければ大きいほど、心が揺さぶられることが多い。そんなふうに、私にとって755という場所は、一流の編集者である見城さんが惜しみなくその手の内を明かしてくださる極めて貴重な場所だと感じている。
知見の浅い今の自分の器では、すぐにその本質や良さを理解できないこともあるけれど、時間が経つうちに「ああ、そういうことだったのか」と深く腑に落ちていく──その過程を味わいながら、見城さんの意図を汲み取り、自分の感性を養っていくことこそが、何より大切なのだと思っている。
映画『国宝』も、一般公開に先がけて東宝試写室でご覧になった見城さんの感想を読み、公開を心待ちにしていた。もし見城さんの存在がなければ、公開初日に映画館に足を運ぶこともなかったと思う。
この作品は、努力や才能だけでは越えられない「血筋」という、抗いがたい歌舞伎の現実が描かれた超大作。演者の演技に圧倒され、約3時間の上映時間もあっという間に感じられた。
とりわけ印象的だったのは、舞台から観客席を見上げるようなカメラワークの多さ。華やかさと美しさに満ちた歌舞伎の表舞台とは裏腹に、一方では、厳しく過酷な物語が渦巻いていることを、強く印象づけていたと思う。
…この秋、見城さんが「和食の最高峰」と絶賛されていた日本料理の名店に伺うことになった。予約は困難を極め、価格にも一瞬たじろいだ。
しかし、それもまた「ノイズ」だと思っている。かつて見城さんが、著書の中で「京味にずっと通えるように、仕事で結果を残そう」と語っていた言葉は、今も忘れられない。その一流の味や感性に少しでも触れることは、この先の人生に十分な価値があると思うのだ。見城徹 三上雅博三上雅博 ↑
おはようございます。
今日は2025年4月の親父の投稿のリトークです。
親父に教えて頂いた話題の映画『国宝』を観ました。
【国宝】
監督「李相日」。脚本「奥寺佐渡子」。原作「吉田修一」。
凄い映画に出会ってしまった。圧倒されて言葉も出ない。映画が終わって明るくなっても直ぐには立ち上がれませんでした。映像に魅了され、音に吸い込まれ、演技に見惚れ、物語に入り込み、驚くほどにあっという間の3時間でした。
ヤクザの家に生まれながら、花井半二郎(渡辺謙)に才能を見出され歌舞伎の世界で生きる事になった「喜久雄」(吉沢亮)。花井半二郎の血を受け継ぎ、幼い頃から歌舞伎の英才教育を受けて育った「俊介」(横山流星)。そんな2人の人生が交錯する。血と才能。挫折と努力。苦悩と歓喜。往く道で実をも散らせて舞い狂う。
心を打ち抜かれた忘れられない名シーンが山の様にあります。序盤から涙無しでは観れません。
半二郎の家で世話になる事が決まり、初めて連れて行ってもらった舞台の裏側。不安と期待が入り混じる。自分がこれから生きる世界を目の当たりにする瞬間。15歳の喜久雄が舞台袖から覗き見た本物の「歌舞伎」。その時、これからの不安も吹っ飛ぶくらい歌舞伎の世界に魅せられたのだと思います。
怪我をした先代に変わり舞台に立つ前、恐怖で紅もさせないほどに楽屋で震えているシーンには感情移入しすぎて苦しくなりました。
喜久雄が縁日の神社で悪魔への願い事をするシーン。この気持ち僕にはわかります。
何もない部屋で床に伏せる人間国宝「万菊」が喜久雄を手招きする姿や、半二郎が死の淵まで舞台にこだわる姿。芸に生きた証が、それぞれの生き様が、映画の中に苦しいほどに込められている。
思い返したらキリがない。きっと観なければ伝わらない。全てを手に入れても、全てを失っても、芸に縋って生きるしかない不器用な男達の物語。この感動。この熱狂。狂おしいほど美しい。この映画こそが『国宝』だ。
親父、素晴らしい映画を教えて頂きまして誠に有難う御座います。涙々の三時間。震えるほど感動しました。感情移入しすぎてまだ胸が苦しいです。この余韻からは暫く抜け出せません。