見城徹のトーク
トーク情報見城徹 K0183K0183 『栄光のバックホーム』公開まで、あと6日。
「父の愛に支えられて、私は立ち続けている」
横田慎太郎選手が脳腫瘍と闘った日々を、
母・まなみさんは、いつもそばで見守り続けました。
視界が二重に見える息子が、それでも練習場に向かう姿。
何度倒れても、諦めずに立ち上がり続ける姿。
母の愛が、横田選手を支え続けた。
私にも、決して忘れられない記憶があります。
私の最も古い記憶は、祖母の死です。くも膜下出血で倒れました。離島という環境では、公平な医療を受けられない。自衛隊のヘリが来てくれることが常でしたが、その日は台風だった。十分な治療を受けられず、祖母は再出血で亡くなりました。
葬式で、祖母のそばに座っていました。
周囲はみんな泣いていたのに、父だけは泣かずに、じっと祖母のそばに座り続けていた。その強い姿を、私は今もはっきり覚えている。
その直後、弟が事故で死にかけました。
父が看護師に縋りついて、泣いていました。
「自分の命はいらないから、この子の命を助けてくれ」と。
幼かった私の心に、その光景が焼き付きました。
父の涙。父の叫び。父の愛。
その時、幼い私が感じたのは、言葉にならない思いでした。
助けたい。
守りたい。
救いたい。
それは明確な言葉ではなく、ただ胸の奥で燃える、熱い思いでした。
その思いが、時間とともに、少しずつ言葉になっていきました。
「どんなに頭の血管が破裂しようと、どんなに脳が傷つこうが、助けてあげられる医者になりたい」
そして、言葉は「誓い」になった。
この記憶が、私の全てです。
私は、この記憶だけで、50年以上生きてきました。
だから、医者になりたかったわけではありません。
どうしても、脳外科医になりたかった。
祖母を救えなかった悔しさ。
弟を救ってくれた医療への感謝。
そして何より、父の愛の深さ。
父の愛に支えられて、今も私は立ち続けています。
脳外科医として四半世紀。
いつもあの日の父の姿が浮かびます。
「自分の命はいらないから、この子の命を助けてくれ」
——その叫びを、今は私が受け止める立場にいる。
横田選手は、母・まなみさんの愛に支えられて戦った。
私は、父の愛に支えられて、今日も手術室に立つ。
愛は、人を立ち上がらせる。
愛は、人に力を与える。
愛は、不可能を可能にする。
『栄光のバックホーム』は、横田選手と母・まなみさんの物語であり、
同時に、愛に支えられて立ち上がるすべての人の物語です。
公開まで、あと6日。
この映画を観る時、きっと思い出すはずです。
あなたを支えてくれた、誰かの愛を。
あなたが今ここに立っているのは、その愛があったからだということを。
そして、気付いて欲しい。
あなた自身も誰かの「愛」になれるということを。
父の愛に支えられて。
今日も、私は戦う。
誠実に、全力で。見城徹 中川 剛中川 剛 ↑阪神の優勝パレード✖️横田慎太郎さんが主人公の映画「栄光のバックホーム」。
しかも、タイミングは、映画公開の直前‼️
「栄光のバックホーム」に熱視線を送り続けていると、“奇跡”だなと思う事が少なくありません。
奇跡を呼ぶほど真っ直ぐに生き抜いた横田慎太郎さんの圧倒的努力と、その生き様を命懸けで世に届ける方々の圧倒的努力。この2つの圧倒的努力の迫力にすっかり心を灼き尽くされています。
見城さんが見せて下さった試写会にも、応援したいと足を運んだ東京国際映画祭にも、ニュースで観た映画の紹介にも、リトークさせていただいた動画にも、鮮やかな感動がありました。秋山監督の755や毎日更新のプロダクションノートに刻まれている連日のイベント行脚は、横田慎太郎さんが懸命に講演に向かわれる姿と重なる様に感じています。
映画「栄光のバックホーム」には、
横田慎太郎さんの“命懸け”のMESSAGE、
見城さんの“命懸け”のMESSAGE、
秋山監督の“命懸け”のMESSAGE、
松谷鷹也さんの“命懸け”のMESSAGE、
中井由梨子さんの“命懸け”のMESSAGE、
鈴木京香さんの“命懸け”のMESSAGE、
書ききれませんが関係者の皆様の“命懸け”のMESSAGE、
が刻まれているのだと思います。
この時点でもう泣いてますが、映画「栄光のバックホーム」をスクリーンで観れば間違いなく幾重にも熱い感動が押し寄せてきます。
映画「栄光のバックホーム」の公開日11月28日(金)まで1週間をきりました‼️いよいよ横田慎太郎さんが真っ直ぐに生き抜いた人生の軌跡が全国に響き渡ります‼️‼️‼️



