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見城徹
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35年間[京味]に飾られていた僕の提灯。通い始めて10年ほど経ったある日、突然この提灯が店にあった。感激して息を飲んだのを覚えている。店が常連と認めるとこの提灯が掲げられたのだ。主人の西健一郎さんが去年亡くなって、僕の元へ届けられた。[京味]は僕の激闘の場所であり、僕の喜怒哀楽を見つめ続けてくれた場所でもあった。この提灯には西健一郎さんの眼差しと、僕の血と汗と涙が染み込んでいる。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2021年2月の親父の投稿のリトークです。
    昨日のリトークの続きです。

    「God is in the details」
    建築家のミース・ファンデルローエの言葉。
    小さな事にクヨクヨしろよ。神は細部に宿るのだ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    1980年1月29日この世に生を受け、今日で45歳になりました。
    北海道小樽市オタモイ1丁目17番21号。
    長屋の団地群。僕は海岸の側の山間の集落みたいな場所で生まれ育ちました。気がつけば随分遠くまで来てしまいました。
    やっぱり僕は鮨職人になるために生まれて来たのだと思います。今考えると全ての事象が僕を鮨の世界へ誘導していた様にさえ思うのです。実は未来が先に決まっていて、人生とはその伏線を回収して行く事に他ならない気がするのです。
    鮨の世界に関わって30年。今日まであっという間でした。
    僕の人生は失敗と挫折と後悔の繰り返し。何度か死にかけながら、なんとか今日まで生き延びてきました。過去の全ては時の流れが物語に変えてくれます。
    僕は色んな物を捨てながら、色んな事を諦めながら、ただひとつだけの鮨に縋り、しがみつきながらこれからも、「往く道は精進にして忍びて終わり悔いはなし」と、声を大にして歩き続けます。

    親父、先日は感動の誕生日祝いを有難う御座いました。感謝で涙が溢れます。

    生涯一鮨職人。三上雅博。

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  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    今際の際「もう少し時間があれば一流の鮨職人になれたのに」と、思いながら死んで行く未来はもう決まっている。完璧な物など存在しない世の中で、完成しないとわかっている物を少しでも完成に近づける様に、悩みながら苦しみながら生きて行く。それが生きると言うことよ。

  • 見城徹
    見城徹
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    31年振りに六本木[ラミューズ]へ。
    角川書店(現・KADOKAWA)時代はよく通っていた。いつもギターの伴奏をしてくれたオーナーの内田ノリちゃんは72歳。お互いに歳を取った。
    挨拶に顔を見せてくれた俳優の内田朝日は息子さん。映画[精霊流し]の主演をしていただいた。
    今夜はご飯だけだが、次はノリちゃんの伴奏で歌を歌いたい。