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見城徹

ハワイは勿論だが、今、一番行きたいのはスペイン、ポルトガル。ポルトガルは一度も行ったことがない。ガウディの足跡を辿った五木寛之さんとの35年ほど前のスペイン旅行は楽しかった。ポルトガルは檀一雄が晩年の1年半を過ごしたサンタクルスに是非、行きたい。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹見城徹

    幻冬舎を作って最初に決めたこと。
    ①安易な道は選ばない
    ②金のために魂は売らない
    ③恩は10倍にして返す

    最初の出社日は嵐のような大雨だった。室内に何もない四谷2丁目の雑居ビルで8名が車座になって僕が持って来たラグビーボールを廻した。運命の歯車が動き出した。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2019年11月の親父の投稿のリトークです。

    不安。劣等感。自己嫌悪。僕の力の源もそこにある。恐怖に震え、不安に押し潰されそうになっても、痩せ我慢しながら今日をなんとか生きている。
    幻冬舎創立時のドラマティックストーリー。まるで映画のワンシーン。その光景がハッキリと脳裏に浮かんできます。震えるほどに格好良い。全身が総毛立つほどに痺れます。何度読んでも感動します。
    伝説はここから始まった。

    幻冬舎創立「闘争宣言」

    来る三月二十五日、幻冬舎の最初の単行本が六冊刊行されます。六冊を見ていただければおわかりのように、幻冬舎は文芸作品中心の出版社です。衰退がいわれて久しい文芸本のジャンルにあえて切り込んでいくのには、それなりの覚悟があります。私たちは文芸が衰退しているのではなく、文芸を編集する側が衰退しているのだと考えています。すなわち、大手寡占状態の中で、出版社は作者と読者の両方の胸の鼓動や息遣いに耳を澄ますことなく本を送り出しているのではないか?血を流し、葛藤し、渇えている作者と読者のひとりびとりに対してあまりにもヌクヌクと生活しているのではないか?大手出版社というブランドに守られて、ひりつくような痛みとははるか遠い所でいつも安全な本作りをしている自分の姿を思い浮かべる度に、吐き気をもよおしていたことは事実でした。
    もう一度ゼロに戻したい。もう一度ひとつ間違えれば地獄へいく薄氷を踏んでみたい。そんな想いのなかで幻冬舎は出発しました。逆に言えば、幻冬舎の社員ひとりびとりの人生の問題として、今の自分に否定形の「NO」を言い続けるためにも、幻冬舎は設立されたのです。
    私達には今、何もありません。しかし、そのことが気持ちがよいことだと感じています。私達を縛る出版界の常識もありません。ですから、史上最大の作戦もゲリラ戦も自由に戦うことができます。
    その戦いのさ中で、読者の胸元にくっきりと届くものを送り続けます。そして、その集積でこの世界の何かを変えたいと願っています。
    文芸元年三月二十五日。幻冬舎は歴史に新しい楔を打ち込むことができるでしょうか。
             ーーー見城徹

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    秋山純秋山純

    自分ごとになりますが

    闘争宣言の3月25日は

    僕の生まれた日であり

    「栄光のバックホーム」
    クランクインの日

    この世に偶然は無いと信じます

  • 見城徹
    秋山純秋山純
    投稿画像

    夜中に大雨が降った翌朝

    2024年3月25日に
    幻冬舎フィルム第一回劇場映画
    「栄光のバックホーム」が
    クランクインしました

    1994年3月25日
    幻冬舎創立の「闘争宣言」から
    30年後の同じ日でした

  • 見城徹
    秋山純秋山純

    雨が降らなければ
    3月23日クランクインでした

    大切な日に
    クランクインさせていただき
    光栄です

    神様に感謝します

  • 見城徹
    斉藤徹斉藤徹
    投稿画像

    前日はノンアルで整えて、朝から戦場へ。
    東京の中心で挑む日々も、
    変わる保証のないことに賭ける覚悟も、
    全部、自分で選んできた。

  • 見城徹
    斉藤徹斉藤徹

    どんな痛みも、どんな失敗も。
    選んだのは自分だ。
    だから俺は、誰のせいにもできない。
    すべては、自己責任の人生。
    逃げずに飲み込んで、いま、覚悟をもって向き合う。
    さぁ、取締役会へ。