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見城徹

人生の晩年になってこんなこんな困難を抱えるとは思わなかった。幻冬舎の資本政策は2度目のMBOを実行して既に2年前に済ませた。三井住友銀行の勧めに従って遺言書も書いた。 幻冬舎グループの将来的な憂いは解決したつもりになっていた。しかし、解決しないものがある。それは日々、生起する僕の気持ちだ。死が視界に入ると、その日までに人は自分の人生に決着を付けねばならない。今、かつての自分の生き方に復讐されている。後悔しない生き方などないが、最後は微かに笑って死にたいものだ。 まあまあの人生だったと納得して。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 時代を往還した何という胸に沁みる投稿!
    写真のストラップが立憲民主党の田島麻衣子さんの挿話と共に心憎いまでに効いている。ということは25年前、2人は新日本監査法人に勤務していたということか?誰にも青春はあった。それが現在の何かの瞬間に再び輝き出す。その思い出を噛み締めて今を生きる。Yumikoの佇まいが目に浮かび、息遣いが聴こえて来るようだ。
    時は流れる。人は生きる。今日は一瞬で過去になる。ユーミンが[12月の雨]を歌っている。
    「時はいつの日にも親切な友達。過ぎてゆく昨日を物語に変える」
    甘くて切ない人生。中村勘九郎演じる蔦屋重三郎が写楽の見得を切る『きらら浮世伝』のラスト。鳥肌が立ったこのラストの所作がストラップの横でイラストになっている。このイラストを描くために平松昭子さんも『きらら浮世伝』を観たということか?交錯する平松昭子のイラストとYumikoのストラップ。この写真には人生そのものが滲んでいる。今発売中の[週刊文春]の林真理子「夜ふけのなわとび」。まだ、間に合う。秀逸なエッセイを多くの人に味わって欲しい。
    そして、歌舞伎座の『きらら浮世伝』は明日まで演っている。

  • 見城徹
    YumikoYumiko

    見城さん、たくさんの拍手、リトークありがとうございます。そんな風に言って頂けて本当に嬉しい。
    点と点が線となり、当時の思い出がさらに色を増し、輝きを増した物語となる。見城さんから頂いたコメントに、今とても感激しています。

  • 見城徹
    見城徹

    2025年2月24日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2021年11月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    [カハラ]は全品、悶えるほどに美味しかった。
    流石、[カハラ]。あれだけの料理を供して来て、まだ尚、進化している。森シェフの想像力と料理と酒に賭ける執念に感動。その上、たっぷり話も出来て極上の夜となった。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    僕の関西での食のパートナーは増田智之くんである。とにかく関西のレストラン情報は増田くんに聞けば間違いない。神戸の[御影ジュエンヌ]も増田くんの紹介である。最近では突如として東京にも現れて東京のレストランにも詳しくなっている。レストランとは関係ないが、[二代目はクリスチャン]の千穐楽にも現れてびっくりした。本職は予備校で数学を教えている。「ゲーテイスト」でも増田くんには随分と助けられた。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    僕が初めて[カハラ]で食べたのは40年前に遡る。石原慎太郎さんと行ったのだ。石原慎太郎さんの一橋大学の同級生で摂津信用金庫のトップだった大木さんが関西随一の店として大阪に来た石原慎太郎さんを招待したのである。随行していた僕もその栄に浴した。今と全く変わらないインテリアと鉄板。今と違うのは森さんがずっとカウンターの中で料理してくれていた記憶がある。料理は初めて体験する美味しさで感動した。6、7年前、森さんが黄綬褒章を受賞した盛大なパーティーで僕が来賓の2番目として登壇した。「僕の『カハラ』の始まりは石原慎太郎さんの一橋大学時代の親友・大木さん。それ以来お目にかかっていないがお元気だろうか?感謝している」とスピーチの中に盛り込んだ。降壇して、しばらくしたら800人ぐらいいる会場で、80歳過ぎに見えるご老人がゆっくりと人混みの中を僕に向かって歩いて来る。「何だろう?知り合いではないはずだ」と訝しんだ僕に片方の手を手を差し伸べ、もう一方の手はご自分の顔を指差して、
    「摂津信用金庫の大木です」と仰った。思わず肩を抱きしめてしまったが、40年の時を経た素敵な再会だった。

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  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2021年11月の親父の投稿のリトークです。

    僕も親父に連れて行ってもらった事もある伝説のレストラン「カハラ」のエピソード。
    親父と石原慎太郎さんの思い出のレストラン。親父と一緒に過ごしたあの夜の感動が蘇ってきます。
    うちのお店にもお越し頂いた増田さんのお名前も登場して嬉しくなりました。増田さんがいなかったら僕も御影ジュエンヌに出会えていなかった。森シェフもご自身のお誕生日に御影ジュエンヌに行くと、偶然にも親父と同じ日の予約だったと言う奇跡のエピソードも思い出しました。いつも親父の話は奇跡と感動に溢れてる。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。