
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 望月輝子望月輝子 遅ればせながら
やっと国宝を観てきた。
なぜだろう。
歌舞伎のことは一切わからないのに、
歌舞伎の世界観に没頭し、
圧倒される感覚を覚えながら
涙を溜めてしまう。
説明なんていらない、感じるって、
こういうことなんだと思った。
そしていまだに続いている余韻。
これ、いつまで続くのかな。
いや、余韻というより興奮だ。
もう朝になるのに眠れないから
感じたことを少し記録しておこう。
振り返ると、
はじまりも終わりも雪だった。
芸に生きた人物たちの散り際が美しく、
命を賭す生き様を見せつけられた。
これとは対照的に、
一人だけ歌舞伎役者としてではなく、
人間としての死に際も見せつけられた。
役者も音響もすべての構成も強烈だった。
あぁ、もう一度観たい。
余韻はいつか覚めてしまうから、
一コマずつ木菟の彫り物のように
身体に刻みたい。見城徹 吉田真悟吉田真悟 一昨日、私も映画『国宝』を観て参りました。(二度目です。)
公開初日よりは冷静に観ることができましたが、それでも「なぜだろう」と思う部分がまだあり、原作の残り半分を読み終えたら、三度目も観たいと思っています。
ご存知の通り、吉田修一の原作の世界を、李相日監督が切り取り、映像化しました。吉沢亮さんと横浜流星さんが、歌舞伎役者として芸道を極める喜久雄と俊介を演じています(少年時代は黒川想矢さん、越山敬達さんがそれぞれ演じています)。
二人はシーソーのような関係で、一方が浮き上がれば、もう一方はどん底に落ちてしまう。二度ほど、互いに対等な関係にあったときだけ、安心して観ていられました。
一度目は、互いに師匠から厳しく鍛えられ、身体に歌舞伎を叩き込まれていた少年時代。
その後、兄弟のように育った二人は、渡辺謙さん演じる二代目半二郎の代役の座を巡って転機を迎えます。実子の俊介ではなく、芸養子の喜久雄が選ばれたことから、二人のバランスは崩れ始めます。
二度目は、田中泯さん演じる小野川万菊に呼び戻され、再び歌舞伎の世界に立つ二人。三代目花井半二郎と半弥として、『曽根崎心中』の徳兵衛とお初を演じるまでになったときです。
俊介はこの時、片脚を失い、もう一方の脚もおぼつかない、命がけの最後の舞台に挑みます。お初が徳兵衛に「一緒に死んでくれるのか」と覚悟を迫る名場面。
死期を悟った俊介に、最後まで演じ切るよう叱咤し、心中へと赴く徳兵衛を演じる喜久雄――それをさらに吉沢亮さんが演じるという、二重三重に重なった物語の深みに、魂を揺さぶられました。
吉沢亮さんも横浜流星さんも、一年半もの間、歌舞伎の指導を受けてこの役に臨んだそうですが、とても素人には見えない、素晴らしい演技でした。俳優自身にもまた、一つの物語があったのだと思います。
四百年もの間、不易流行を繰り返しながら古典芸能の中心にあり続ける歌舞伎。その女形として人間国宝にまで登り詰めた男の人生は、切なく、美しく、昭和の香りも感じられ、胸を打ちました。
歌舞伎の様式美に加え、重厚な音響も素晴らしく、時にため息や叫びのように聞こえ、次の展開を予感させる「音」まで巧みに作り込まれていました。
そして、映画ならではの自由自在なカメラワーク。
舞台から客席を見渡す役者の目線、花道、奈落からのせり上がり、執拗に役者を追い回すカメラが、汗や涙、力強い眼差しや病に侵された脚の色まで映し出し、決して美しくはない部分にさえ、なぜか愛しさを感じてしまいました。
俄(にわか)とはいえ、気がつけば、いつの間にか歌舞伎そのものにも惹かれるようになっていました。
控えめに言って、この10年で一番の映画だと思います。