見城徹のトーク
トーク情報見城徹 死ぬために生きる死ぬために生きる 見城さんが[OMAKASE 青山ガーデン]の「BAR 青山ワイン会」で飲まれたワイン
左から
ルモワスネ・ペール・エ・フィス リシュブール 1978
DRC ラ・ターシュ 1985
コシュ・デュリ コルトン・シャルルマーニュ 2016
コシュ・デュリ ムルソー・ジュヌヴリエール 2020
ルフレーヴ シュヴァリエ・モンラッシェ 2021
オスピス・ド・ボーヌ マジ・シャンベルタン 2022
(GMOインターネットグループ落札)
[銀座あらい]のお鮨に、見城さんがソムリエを務められたと言う今夜の「BAR 青山ワイン会」。
豪華にも程がある。
こんなに素晴らしいワインが一堂に介している。
飲むことはもちろん、この顔触れのワインがが綺麗に並べられた写真を見ることさえ、滅多にあることではない。
ここ最近で1番言葉にならないほど圧巻だ。
スーツが決まった皆様の集合写真に見惚れており、ワイングラスの集合体のシャンデアリアだと今気が付きました。見城徹 見城徹見城徹 檄
われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
ーー楯の会隊長 三島由紀夫見城徹 見城徹見城徹 三島由紀夫自決直前。自衛隊市ヶ谷駐屯地バルコニーでの演説
「おまえら、聞けぇ! 静かにせい、静かにせい! 話を聞け! 男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか。いいか。
それがだ、今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ」
「俺は4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。4年待ったんだ。最後の30分に、待っているんだよ。諸君は武士だろう。武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君は永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ! 俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ」見城徹 見城徹見城徹 1970年11月25日。毎年その日が来るとテレビの情報・報道番組は三島由紀夫の自決だけをクローズアップして三島由紀夫が自決した理由については殆ど言及しない。新聞も同様である。
三島由紀夫は日本国憲法の改正を訴えて自決したのだ。それを自らの死の大義名分としたのである。檄文を書き、演説をした。それくらいに大義名分にこだわったのだ。
美しい日本語で書かれた三島由紀夫の文学。それら全ての作品と自分の命を引き換えにしても、日本語で書かれた日本国憲法の欺瞞を許せないとしたのである。日本語とは思考し、書き記す自分の根源であり、日本国の歴史と伝統、文化そのものである。その象徴たる天皇陛下に万歳を叫んで、武士の様式で切腹する。
[豊饒の海]を書き上げ、生きる理由のなくなった三島由紀夫の死の理由としてこれ以上のものはなかった。後はどんな理由も取るに足らなかった。全ては用意周到に準備されたものだったのだと僕は思う。かくして神聖喜劇の幕は閉じられたのだ。三島由紀夫の自決から50年。
日本国憲法は未だに改正されていない。
