見城徹のトーク
トーク情報見城徹 森貴代江森貴代江 2015年2月1日、見城さんが初めて渋谷の松五郎にお越しくださいました。
秋元康さんと箕輪さんと水野さんとご一緒に。
その日のことは全てノートに書いてあります。見城さんが何を飲まれて、何を召し上がって、どの料理を気に入ってくださったか。
見城さんだけではなく、その日同席されていた皆さんのことが記されています。
あの日はとにかく緊張していて、気持ちが昂ってしまっていました。
その時に提供した料理はすき焼きとしゃぶしゃぶでした。実は見城さんからしゃぶしゃぶを食べたいとリクエストいただき、しゃぶしゃぶをご用意していました。いま思うと何か運命的なものを感じてしまいます。
ポン酢はざくろのポン酢がお好きと755にあったので、事前にざくろに行きどんなポン酢なのか下調べをして藤井が作り準備しました。
またアレンジダレとして、山芋のベッコウ餡もお出ししたところ大変気に入ってくださりそのつけダレを2度お代わりしてくださいました。
しゃぶしゃぶの〆はおじやをお作りしました。やはりその時も大変褒めてくださいました。全てが今に繋がっているとつくづく思います。
お帰りになる時に、姿が見えなくなるまでというより車が見えなくなるまでお見送りをさせていただきました。
見城さんにお越しいただけるなんて2度とないかもしれないと思いながら、お見送りをしました。見城徹 K0183K0183 創る者は、常に死の匂いを纏っている。
創造するのは、味ではなく、生そのもの。
命を削るように握られた一貫の中で、
喜びと絶望、静謐と狂気がせめぎ合い、
それを口にする者もまた、生きる覚悟を問われる。
食べることは生きること。創ることは死に近づくこと。
その刹那の交差点にこそ、美が生まれる。
創る者の手は神のようであり、悪魔のようでもある。
その指先に宿るのは、赦しか、呪いか。
見城さんが書かれた「天使の熱狂と悪魔の冷静」。
きっと三上さんは、その両方を抱えながら、
日々、魂を賭けた勝負をしているのだと思います。
そして、食べ手もまた、天使にも悪魔にもなりうる。
その危うい境界線の上でこそ、真の美食は生まれるのかもしれません。
「ザ・メニュー」が描いた世界と同じく、
人生という劇場では、創造と破壊が溶け合い、
私たちは観客でいることを許されず、
いつの間にか舞台の上に立たされる。
生と死が交差するその瞬間、
美とは何か、人間とは何かを、
炎のような一瞬の中で突きつけられる気がします。
見城さんが生涯をかけて向き合ってきた「編集」という作業も、まさに同じ構造を持っているのではないでしょうか。
作家と一体化して、魂を削り、読者の心臓を鷲掴みにする。
三上さんの一貫と、見城さんが世に送り出してきた一冊一冊が、共に、狂気と美、そして覚悟を宿していると思います。見城徹 シカヲス(知立 鹿雄)シカヲス(知立 鹿雄) ↑見城さんの言葉は、いつも我々を救ってくれる。奮い立たせてくれる。唯一、辛いことをポジティブに向けてくれるお方。
こちらも辛いときに涙を流しながらいつも救われております→ https://youtube.com/shorts/L5VIVTA0j2g?si=rzisZ7oWTGIPyy0i
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