ゆり見城さん初めまして。本日、映画『怒り』を観ました。家に帰る途中も、家について鍵をかけても、衝撃と恐怖がおさまらず、お風呂に入ることも怖いくらいです。人を信じるか、信じて裏切られるか、信じられずに自分が裏切るようなことをして後悔するのか、何がいちばん辛いのかわからないと思いました。見城さんがいつも仰っているように、人生は辛いものなのだと思いました。辛いけれど、だからそこ信じる意味があるのでしょうか。
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 ↑ 相手から理解されたい、報われたいと思った瞬間、相手は自分から逃げて行きます。自分の一番浅くて醜い部分が出てしまうからです。しかし、愚かにも人はそれを繰り返します。少なくとも僕はそうです。自分を捨て切れない。自己愛の中でしか相手を愛せない。自意識過剰と自己承認欲求の塊になってしまう。そうやって73歳まで来てしまいました。しかし、それが僕の何かを成す原動力だったことも確かです。理解されなくても報われなくても上等!そう思い切れれば、自分の劇として完結します。切ないけどね。理解と誤解の間には深くて暗い河がある。ひとり。一人。独り。それでも生きます。誰が自分を共同体不適格者と思わずして生きれたか?忍びて終わり悔いなし。押忍。I Will Go to War!