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見城徹

日経新聞に2月1日から連載されていた村井邦彦氏の[私の履歴書]が2月最後の日の今日をもって終了した。毎日、楽しみに読んでいた。YMOやユーミンを初め僕と同時代のミュージシャンたちが綺羅星のように登場する。彼らのデビュー秘話やアルファミュージックを立ち上げた筆者が手掛けた音楽ビジネス成立の過程がワールドワイドに語られる。面白かったし勉強になった。キャンティが全盛期だった時代のポップスの歴史が目に眩しい。僕はあの時代を文芸と共に生きた。音楽ともクロスした。僕が編集長だった[月刊カドカワ]はその象徴的な雑誌だったと思う。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹
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    同じく今朝の朝日新聞の書評欄。何で書評委員のアート作品を書評欄に載せなければならないのか?鏡を使って読め?僕には意味不明。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 新聞としての役割を朝日新聞は放棄しているとしか僕には思えない。書評をアート作品にして何の意味があるのだろう?読めない書評。鏡に写して苦労して読むのか?こんな疑問を呈する僕が時代遅れなのか?朝日新聞が進んでいるのか?どっちなんだろう?

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  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 毎週土曜日、朝日新聞の書評を僕は楽しみに待っている。びっくりしたなあ、もう。びっくりさせることが狙いならその目的は達している。

  • 見城徹
    ikutamaikutama

    好奇心で鏡を使わず読みました。その後、しばらく普通の文章が普通に読めなくなり、後悔しました。面白いけれど、意図せずスピードが落ちる。これが頭が柔らかくなるということなんですね。

  • 見城徹
    見城徹

    僕は横尾忠則さんの自己満足に朝日新聞は利用されただけのように思えるのだが……。
    勿論、書評とは批評対象をダシにした個体の表現である。この書評が表現というアート作品だとしても、朝日新聞の書評欄でやる必要があったのだろうか?しかし、こんな風に僕に考えさせているだけでこの試みは成功しているのかも知れない。
    僕はこの試みを否定する。書評は読めなければ意味がない。書評はアートではない。