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見城徹
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見城社長、忙しい時に時間を割いて下さり感謝します。ドグマチズムに染まっている私は、ご指摘 通りマチウ書試論を文献的テキスト的に読んでいました。しかし「今を生きる自分の葛藤する問題そのもの」として読んでみたいと熱望します。その為に「関係の絶対性」についてヒントを下さい。人間関係は相対的にしかあり得ないと思うのですが、そこにこの視点を導入するとは?…「神」か「運命」か「宿命」 しか考えられないのです。

極限状況の戦いと葛藤をかつても今も抱えていない人が「自分の葛藤する問題そのものとして読む」のは不可能に近いと思います。 そして、わざわざそのように読む理由もありません。 僕は20歳前から少なくとも500回以上は「マチウ書試論」を読んでいます。それでもまだ解らないことは沢山あります。興味深々生が読んで解らないのは当然のことです。 僕には貴方が『マチウ書試論』を読む理由が解りません。単なるペダントリーとして読むなら無意味です。 「今を生きる問題として」読むなら、止めませんが、理解は出来ないでしょうと断言します。これは馬鹿にして言っているのではありません。普通に考えて無理なのです。僕に言わせれば、時間の無駄です。 今までお書きになっている『マチウ書試論』についての文章も残念ながら的はずれです。それは恥ずかしいことではありません。気にしないで下さい。 [関係の絶対性]はその極限状況によって違います。 『マチウ書試論』が書かれた時の吉本にとっては「自分と自分が敵対する資本主義国家」であり「自分と自分が愛する大衆」であり「自分と自分が恋する人妻」です。それを「絶対性」と捉えた時、絶対的倫理が作動するのです。 マタイの作者にとっては「自分と神との関係」です。 これはあくまで自己否定し尽くした人間の「自己肯定化」ひいては「自己正当化」への視点だと僕は理解しています。 出張先のタクシーの中で書いているので、雑になりました。お許し下さい。

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