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見城徹

↑ 堀江貴文がリトークしてくれたので、更に詳しく書きます。755は堀江貴文が獄中で考えていたアイデアをサイバーエージェントが堀江と共同作業で具現化したSNSです。つまり、皆さんご存知のように堀江貴文と藤田晋の友情から生まれたものです。ですから、(株)7gogoの株主構成は堀江貴文50%、サイバーエージェント50%でした。755という名前も堀江貴文の囚人番号から取っています。2014年2月から始まりました。 堀江の出所が2013年3月27日ですから驚くべきスピードで実現したことになります。 僕が755を始めたのが2014年の7月か8月(最初の頃のトークを2度に渡り消去してしまったので詳しい記録が残っていません)で秋元康が始めたのが2014年9月4日です。何でこんなことを書くかというと秋元康と僕はトークを開始後、希望して堀江から5%ずつ株を譲り受けたからです。 つまり、755の株主構成はサイバーエージェント50%、堀江貴文40%、秋元康5%、見城徹5%となったのです。 それを今回、それぞれから株を買い取りサイバーエージェント100%の会社にしたのです。755を続けるという藤田晋とサイバーエージェントの強い決意の表れです。 このことを言いたくて細かく書きました。 秋元。勝手に書いて申し訳ない。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年2月5日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2021年4月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    言葉は生き方を決定します。言葉によって人は行為するのです。行為した時、言葉はその人の中で肉体化されるのです。ですから、言葉と行為は表裏一体です。その時、言葉は説得力を持ち、人を動かします。そこに結果が生まれます。言葉→行為→肉体化→結果→新しい言葉。生きるということはこの繰り返しです。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    僕は21歳の時に「理想」や「夢」に生きるのを止めました。いや、そこから逃げ出しました。だから、「理想」や「夢」という言葉が嫌いです。僕にとって肉体化出来なかった言葉だからです。
    [たべて苛酷にならない夢を/彼女たちは世界がみんな希望だとおもっているものを/絶望だということができない]
    吉本隆明の「少女」という詩の一節です。僕は食べて苛酷になる夢を飲み込めませんでした。 飲み込めなかった劣等感と自己嫌悪と向き合いながら、懸命に生きて来ました。
    21歳で死んだ僕に宛てて65歳の僕が書かずにはおれなかったのが文庫版「たった一人の熱狂」のあとがきです。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2021年4月の親父の投稿のリトークです。

    夢に打ちひしがれて生きてきた。悔しくて、情けなくて、悲しくて、夜も眠れなかった。そのうち僕は夢を語れなくなった。目の前の現実は夢や希望とはまるで対極にある。この現実を純粋なる眼でしっかり見据え、これで最期かも知れない今日と言う一日を、昨日までの弱い自分を殺しながら生きていく。
    今日も親父の755によって僕は言葉を獲得し、それを血肉と化していく。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。