削除されたユーザー見城さんお早うございます♪お疲れ様です。お店が開いてれば、お粥なんか胃の腑に優しいですよ。^^タイのチャイニーズホテルで食べたときは目から鱗でした♪🙆このあとも穏やかにお過ごしください。
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 死ぬために生きる死ぬために生きる ![投稿画像]()
こちらはこれから冬に入っていく。
とはいえ、夜は既に-25℃ほどになる。
今外を走れば、鼻水や髪についた汗が凍り始める。
先日雪が降り、その雪がカチカチに凍っているため、このままリーグが中断される可能性が高い。
状況や環境が変わっても、やるべきことをやる。
やることは変えるが変えない。変えないが変える。
動きながら考え、考えながら動く。
完全なる自責且つ生の喜びではあるが、急ピッチの身体作りからのシーズンインだったので、身体中の関節や筋肉が悲鳴を上げている。
また、先週の試合ではジャンプしてそのまま脇腹から転落して肋骨にヒビが入った。
それでもやり続けるしかない。
チームの成績は1位で前期を折り返せそうだが、僕の得点やアシスト数のランキングは、どちらも5位と言ったところだ。
上に4人もいる。
それだけの努力しかしてこれなかったということ。
情けない。
圧倒的努力が必要である。
この努力が鮮やかに結果に変わるのか、自分に疑問を抱き、努力の質と量を変化させていくことも重要だ。
一日一生。死ぬために生きる。
この言葉に尽きる。どこまで毎日毎日意識できるか。
前までの僕は今を生きられていなかった。
過去か未来に生きていた。今を生きないものが未来を生きられるはずがない。
豚になっていた。
映画上映前に見城さんにかけていただいたお言葉の通り、[栄光のバックホーム]は僕の人生を変えた。
横田慎太郎さんはもちろんのこと、[栄光のバックホーム]に携わる全ての横田慎太郎さんに教えていただいた。
奇跡と栄光は圧倒的努力した者のみにやってくる。
奇跡と栄光という面を被った必然。
あの日以降、時間を無駄にすることが少なくなった。まだゼロではない。
とにかく僕にとっての[栄光のバックホーム]は、生と死を通したとんでもない体験だった。
熱く語らせていただいたものの、心のどこかで弱音を吐き、嘆き、叫びたがっている自分がいるため、このような投稿をしているのだと思う。
自分の弱さや未熟、自意識をしっかりと抱き締め、今日も半日生ききる。今日も死ぬ。見城徹 K0183K0183 見城さん
「無理を突破しなければ、人生じゃ無い!」
「無理」は「理」が「無い」と書く。
この言葉の本質を、改めて深く噛みしめました。
凡人は「理」があることをしていたら天才たちには敵わない——だから見城さんは、「理」が「無い」ことをやり切って、常識や限界を突破してこられた。
私もまた、「理不尽」という言葉と共に生きてきました。
「理不尽」とは、「理」が「尽くされていない」こと。道理が通らない、筋が通らない状況です。
四半世紀、命がけの現場で、私は理不尽に耐え続けてきました。理解されないこと、説明できないこと、それでも決断しなければならないこと。耐え難い不条理の連続でした。
ある時、思い至りました。
「理不尽に耐えることが修業」なのだと。
「無理」と「理不尽」——表現は違えど、実は表裏一体の関係ではないのか。
「無理」 = 自ら選び取る限界突破。「理」が「無い」道を、あえて進む修業。
「理不尽」 = 他者から課される不条理。耐え難いものに耐え、前に進む修業。
見城さんも、数え切れない理不尽に直面されてきたはず。耐え難きを耐え、前に出続けてきたはず。
74歳で肉体的限界を自覚されながらも、「リングを降りない」と断言される。
「降りれば楽になります」——しかし、その誘惑に対する憧憬は、微塵も感じない。
その覚悟の重さに、言葉を失います。
私も現場を降りれば、確かに楽になるかもしれません。理不尽から逃げることもできます。
しかし、見城さんの決意に打たれると、私も新たに「降りない」という気持ちに自然となります。
見城さんの背中を見て、私も「無理」を通し、「理不尽」に耐え続けます。
いつも苦しく、毎日憂鬱でも。
正直、誠実、善良、真心を持って、力のすべてを出し尽くす。
白い灰になって燃え尽きる、その瞬間まで。
