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見城徹
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今朝の日経新聞の広告です。一寸の虫にも五分の魂。鉄の意志と圧倒的努力でたった一人の戦いに挑んだ三浦瑠麗との裁判の記録。泣けます。感動します。勇気が出ます。読み始めたらやめられません。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    2025年10月17日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2024年2月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹
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    昨夜の[MIKAMI limited]は強烈でした。
    命を削った狂気の鮨。クレイジーにも程がある。とにかく突き抜けている。天使の熱狂と悪魔の冷静が織り成す圧倒的なドラマチック・ストーリー。マーク・マイロッド監督の映画「ザ・メニュー」の世界。衝撃と悶絶。死ぬか?生きるか?作り手が用意したこの世あらざる劇場で食べる鮨。生きて帰って、その幸福を噛み締めています。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2024年2月の親父の投稿のリトークです。

    親父に初めて鮨を握った日。
    初めてご来店頂いた日の事を昨日の様に思い出します。
    ドアが開き、親父が入ってくる瞬間を、僕はスローモーションの様に感じました。店内の空気が一変するほどの凄まじいオーラ。後光が差していると言う表現が正しいのか。僕には親父が発光して見えました。その光は、僕達と空間までをも包み込んでくれるのです。
    この日、僕は親父に惚れました。
    それ以来、背中を見せて頂き、気にかけて頂き、可愛がって頂き、様々なご縁を頂きまして感謝の念に堪えません。
    親父、いつも有り難う御座います。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    昨日は16日だったのに15日と書いていました。
    こういうミスが多い。お恥ずかしいです。

  • 見城徹
    死ぬために生きる死ぬために生きる

    ↑見城さんご投稿いただき有難うございます。
    海外にいるため、どうにかこの放送を拝見できないものかと方法を模索しておりました。

    今を生きる横田慎太郎さんとして、北條選手も生きられている。
    今も横田慎太郎さんのことを思い出して涙する北條選手の姿に、お2人とお2人のご関係性の奇跡を感じました。

    生という死。死という生。

    脚が痛いというだけで、明日の試合に対して弱気になっている自分が情けない。
    今を生きる横田慎太郎として、やれることは全てやったか?明日の試合までに全てをやり尽くせるか?

    今日の生はもしかしたら他の人にとっては当たり前じゃないかもしれない。
    やるしかない。今日も残り半日。生き切る。

  • 見城徹
    森貴代江森貴代江

    2015年2月1日、見城さんが初めて渋谷の松五郎にお越しくださいました。
    秋元康さんと箕輪さんと水野さんとご一緒に。

    その日のことは全てノートに書いてあります。見城さんが何を飲まれて、何を召し上がって、どの料理を気に入ってくださったか。
    見城さんだけではなく、その日同席されていた皆さんのことが記されています。

    あの日はとにかく緊張していて、気持ちが昂ってしまっていました。
    その時に提供した料理はすき焼きとしゃぶしゃぶでした。実は見城さんからしゃぶしゃぶを食べたいとリクエストいただき、しゃぶしゃぶをご用意していました。いま思うと何か運命的なものを感じてしまいます。
    ポン酢はざくろのポン酢がお好きと755にあったので、事前にざくろに行きどんなポン酢なのか下調べをして藤井が作り準備しました。
    またアレンジダレとして、山芋のベッコウ餡もお出ししたところ大変気に入ってくださりそのつけダレを2度お代わりしてくださいました。
    しゃぶしゃぶの〆はおじやをお作りしました。やはりその時も大変褒めてくださいました。全てが今に繋がっているとつくづく思います。

    お帰りになる時に、姿が見えなくなるまでというより車が見えなくなるまでお見送りをさせていただきました。
    見城さんにお越しいただけるなんて2度とないかもしれないと思いながら、お見送りをしました。

  • 見城徹
    K0183K0183

    創る者は、常に死の匂いを纏っている。
    創造するのは、味ではなく、生そのもの。
    命を削るように握られた一貫の中で、
    喜びと絶望、静謐と狂気がせめぎ合い、
    それを口にする者もまた、生きる覚悟を問われる。
    食べることは生きること。創ることは死に近づくこと。
    その刹那の交差点にこそ、美が生まれる。

    創る者の手は神のようであり、悪魔のようでもある。
    その指先に宿るのは、赦しか、呪いか。
    見城さんが書かれた「天使の熱狂と悪魔の冷静」。
    きっと三上さんは、その両方を抱えながら、
    日々、魂を賭けた勝負をしているのだと思います。
    そして、食べ手もまた、天使にも悪魔にもなりうる。
    その危うい境界線の上でこそ、真の美食は生まれるのかもしれません。

    「ザ・メニュー」が描いた世界と同じく、
    人生という劇場では、創造と破壊が溶け合い、
    私たちは観客でいることを許されず、
    いつの間にか舞台の上に立たされる。
    生と死が交差するその瞬間、
    美とは何か、人間とは何かを、
    炎のような一瞬の中で突きつけられる気がします。

    見城さんが生涯をかけて向き合ってきた「編集」という作業も、まさに同じ構造を持っているのではないでしょうか。
    作家と一体化して、魂を削り、読者の心臓を鷲掴みにする。
    三上さんの一貫と、見城さんが世に送り出してきた一冊一冊が、共に、狂気と美、そして覚悟を宿していると思います。