
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 僕の嫌いな[夢]について初めて少し語ります。
18歳と27歳の時、中学時代からの夢が実現しました。しかし、若さ故の意気がりか、ようやく手に入れたその夢を自分から手放しました。そこに安住したくなかったのです。今でも時々、後悔します。そして、34歳の時、熱狂の末に手に入れた夢は年を追うごとに色褪せました。つまり、それらは実現してみると自分の生きるモチベーションにはなり得なかっだのです。勝手なものです。
今、僕は幾つかの夢を実現したと思っています。しかし、それらは実現した後、そうか、これが自分の夢だったんだと気付いたのです。僕には今、果たし得ていない夢が3つほどあります。一番大きなものは僕が生きている内はに実現しないでしょう。現実は苛酷で、一つを得るためには一つを失わなければなりません。残りの年月を考えると
切なくなりますが、どれを優先するか?は覚悟を決めた選択の問題になります。人生は長いようで短い。73歳になってそのことが胸に沁みます。
今日の絶望を明日の苛酷に。夢は実現した後にそれが本当に自分の夢だったのか吟味して語るものです。結論はきっと人生の最後の日にしか出ないものかも知れません。見城徹 三上雅博三上雅博 ↑
おはようございます。
2024年5月の親父の投稿のリトークです。
劣等感を抱き続けながら生きてきた僕に、夢や希望は語れない。僕には地獄が向いている。現実に絶望するのが真実だ。僕は選ばれし人間でも無ければ、俗に言う天才でも無いのだから。単純に、ガキのまま大人になった面倒臭い頑固者の大馬鹿野郎。昨日までの弱い自分を殺すだけでも目一杯。精一杯。
未確定な未来の先に存在する「夢」。目を輝かせながら夢を語る人達とは。距離を置く傾向すらある。僕にはそれが眩しすぎて見ていられないから。耳障りの良い言葉は僕を憂鬱にさせるから。
何かを成した後に訪れる静寂だけが、僕を夢見心地にしてくれる。その一瞬のために、ただ現実を進むのだ。リアルに生きて死んでいけ。
本日も皆様、宜しくお願い致します。





