
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 K0183K0183 見城さん
「キツいなあ。色んなことがキツい」——今朝、この一言から始まるご投稿を拝読し、一気に目が覚めました。追い詰められ、悩み、苦しみ、負荷がかかる日々。毎日、七転八倒されている。
「リングを降りた後の自分が想像出来ない」——
この一文に、戦い続けることでしか自己を定義できない者の宿命が凝縮されています。手放すことは、自らの存在そのものを手放すことに等しい。
併せて掲げられたアリス [チャンピオン]。
「帰れるんだ これでただの男に」
重圧からの解放。しかし同時に、敗北と終わりの受容。喪失感。闘い続けることの終焉。諦めと、それでも滲む「もう戦わなくていい」という安堵、赦し。
見城さんは「ただの男に帰る」ことを拒絶している。敗北も解放も受け入れず、リングに立ち続けることを選んでいる。なお歩を進める見城さんのお背中に、私は希望の灯を見ました。
見城さんがリングを降りないように、私も現場を降りるわけにはいかないと気持ちを新たに引き締めました。
私も戦場に立ち続ける。 憂鬱と共に。覚悟を胸に。見城徹 K0183K0183 見城さん
先ほどの投稿について、ずっと気にかかっておりました。少し頭を冷やして、改めて「チャンピオン」の全歌詞に向き合いました。
見城さんが教えてくださった「正直」を、今こそ実践させてください。無言で済ませるのではなく、自分の浅さと向き合い、言葉にします。
私は「チャンピオン」を見誤っていました。
あれは「敗北の歌」でも「解放の歌」でもない。やり切った者だけがたどり着く、「往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」の境地を歌ったものだと、ようやく気づきました。
そして——見城さんは、現役にして、すでに伝説の領域におられる出版界の巨人。まさにチャンピオン。見城さんご自身が、この歌そのものなのだと。
「つかみかけた熱い腕をふりほどいて」——引き止めようとしても、彼は行く。
「わずかに震える白いガウン」——恐怖か、老いか、重圧か。栄光の裏にある孤独。
「ふりむきざまに俺にこぶしを見せて 寂しそうに笑った」——この表情に、すべてが凝縮されています。「まだ戦える」と言い聞かせながら、どこかで限界も感じているような覚悟。誇りと、どこか諦めにも似た静けさ。
長い廊下。死地への通路。それでも前に進む。
リングと拍手の渦が、ひとりの男を飲み込んでいく。
「立ち上がれ もう一度その足で」
何度倒れても立ち上がることを求められる。それがチャンピオンの宿命。血に染まり、目に涙を浮かべながら、それでも立ち上がる。目に浮かぶ涙が「悔しさ」なのか、「安堵」なのか、何を悟ったかは分からない。
「立たないで もうそれで充分だ おお神よ 彼を救いたまえ」
相反する祈りが、同時に叫ばれる。
そして——「静かに倒れて落ちた 疲れて眠るように」
これは敗北ではない。長きにわたる戦いの、静謐な終焉。勝ち負けを超えた境地。
「帰れるんだ これでただの男に」
この言葉の重さを、私は理解していませんでした。これは諦めではなく、全てを出し切った者だけが口にできる、深い安堵と解放なのだと。
見城さんは今朝、「キツい」と仰いました。「かろうじて前に出る。パンチを出す」と。
この「かろうじて」の中に、真の不屈を感じます。
愚痴を言い、弱音を吐きながらも、前に出る。簡単には終われない。倒れていった者たち、すべてを抱きしめて立ち続ける。
見城さんは、ご自身が倒れる姿を想像しながら、この歌詞を掲げられたのではないでしょうか。
そして、なお前に出る覚悟を、改めて示された。
「忍びて終わり悔いなし」——この言葉を、74年にわたって更新し続けてこられた見城さんの背中が、私の心に火を灯します。
私も、現場で倒れるまで。見城徹 秋山純秋山純 テレ朝「奇跡のバックホーム」今日放送 元阪神・横田慎太郎さんの生涯を貴重映像や両親取材で振り返る(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/bf86fdba0f359d38f939d418f844203249a35e50


