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見城徹

⬆︎ おはようございます。23日の朝が来てしまいました。明日の朝から目が覚めても755を見なくていいんだ、と思うと不思議な気分です。 あかのしん、丁寧なコメントを有難う。精一杯、一人一人に寄り添おうとして返信して来ました。文章から浮かび上がるその人の姿を想像しながら文字を打ったものです。僕はSNSに無知でした。だからこそ、こんなトーク部屋が出来たのだと思います。僕は755の大多数の方の「善意」を信じています。「善意」のないところにビジネスも恋愛も人生もないと信じて生きて来ました。僕は僕の言葉をその善意の人たちに届けたかった。[昨日まで悲しかった、昨日まで嬉しかった]人々と一緒に泣き、笑いたかった。だから、膨大な量の言葉を発し続けられたのだと思います。しかし、「悪意」という現実もあります。それがたとえ無意識から発したものであっても、我慢のならないものもあります。スルーしろよ、気にするなよ、という声も聞こえて来ますが、ここらで一回、気持ちをリセットした方がいいだろうと結論を出しました。戻って来るかも知れないし、戻って来ないかも知れません。僕は僕の人生を生きるのですから。トークを閉じると、現在の仕様は全てが消えてしまうので、中断という形を取ります。後悔している文章もありますが、文章を残すためです。前回のように全て消したらスッキリするのですが、皆さんの要望もあって残させて頂きます。消す時はいつでも消せますから。 あかのしん、貴方のような方々に支えられてここまで来れました。 心を込めて、有難う。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    秋山純秋山純

    昨日は
    全国TOHOシネマズにて
    「栄光のバックホーム」試写会でした

    直後にXに投稿されたポストです

    良いリアクションだけを選んではいません

    ネガキャンはありませんでした


    届いている‼️
    確信しました‼️


    正面突破‼️‼️

  • 見城徹
    見城徹
    投稿画像

    755の検索機能がもう1週間以上、不具合で使えない。運営さん、そろそろ何とかして下さい。

  • 見城徹
    見城徹

    1993年11月12日、秋晴れの日に幻冬舎は設立登記されました。あれから32年が経ちました。42歳だった僕は74歳になりました。設立当初は節約の為に、電車やバスには乗らず、都内ならどこでも歩いて行きました。四ツ谷の小さな雑居ビルの4階。不安や恐怖は無く、不思議に楽観的でした。出版社経営に無知だったのだと思います。その分、無謀も出来ました。デビューでいきなり朝日新聞に全面広告。郷ひろみ[ダディ]で初版50万部。創立3年、62冊で幻冬舎文庫創刊。メチャクチャでした。創立間もない出版社が唐沢寿明[ふたり]、石原慎太郎[弟]、郷ひろみ[ダディ]、五木寛之[大河の一滴]、天童荒太[永遠の仔]とミリオン・セラーを連打したのです。無知の怖いもの知らずでなければ出来なかったとしみじみ思います。知識が備わった74歳の今は[栄光のバックホーム]の映画作りにしても恐怖と不安に毎日苛まされます。僕が製作総指揮を務める[栄光のバックホーム]は11月28日全国公開。圧倒的努力で正面突破するしかありません。この映画の為に「幻冬舎フィルム」という会社も作りました。74歳のルーキーの眠れぬ夜は続きます。
    32年前の方が何にも知らない分、気持ちは遥かに楽でした(笑)。

  • 見城徹
    見城徹

    2025年11月12日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2025年3月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ↑ 「僕が出会う全ての人に鮮やかな感動を」と思って毎日を生きています。正直に言います。毎日、へこたれています。毎日のように挫折します。毎日が憂鬱です。体調も毎日悪いです。でも、
    生きる。覚悟を持って生きる。場面を張る。あと少し暴れてみます。誰のものでもない僕の人生。いつか、荒野の風になる。最初から無。最後に微笑しながら永遠の無に戻ります。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    おはようございます。
    本日は過去の投稿より、2025年3月の親父の投稿をリトークさせて頂きます。

    親父には決してなれないけれど、親父の様に生きていきたい。
    いつも心の底からそう思っています。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。