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見城徹のトーク
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  • 見城徹
    見城徹
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    ブイヤベースのリゾット。僕が予約すると用意してくれている。落涙の味。

  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年6月5日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2017年8月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    「癒着」という言葉の意味について『広辞苑』を引いてみると「本来関係あるべきでない者同士が深く手を結び合うこと」と書かれている。癒着は悪い意味で使われることが多い言葉だが、仕事を成功させるためには非常に重要な要素だ。

     癒着とはどういう状態を指すか。お互いがお互いを必要として結果を出す唯一無二の関係だ。しかし、誰かと癒着するにはキラーカードを持っていなくてはならない。

     相手が喉から手が出るほど欲しいキラーカードをこちらが持っている。そして「どうぞ使ってください」とそのキラーカードを惜しげもなく差し出す。

     相手も手元にキラーカードを持っており、見返りにそのキラーカードを差し出してくれる。ギブ・アンド・ギブという無償の贈与、テイク・アンド・テイクという無償の報酬の関係は癒着とは言わない。ギブ・アンド・テイクの対等な関係の上に癒着はある。

     もし君がキラーカードを1枚しか持っていなければ、その1枚を人に渡してしまった瞬間に弾切れになる。一時的に相手と癒着の関係が構築されるかもしれないが、次に渡すべきキラーカードが1枚も残っていなければ、癒着の関係は早々に終了する。

     パートナーとして長く癒着の関係を保つためには、キラーカードを何枚も手元に持っておかなければならない。お互いが圧倒的努力を重ねて何枚ものキラーカードを常に獲得し続けるからこそ、お互いがお互いを必要とする癒着は続いて行く。

     そして、キラーカードを切り合った先に、大きな成果が出ると癒着は益々深くなる。

     勘違いして欲しくないのだが、「癒着」と「人脈」は似て非なるものだ。僕は「人脈」という言葉を聞くと虫酸が走る。

    「仕事ができる人間になるためには人脈が重要だ」と考える人は、異業種交流会やパーティにやたらと出席しては名刺交換に勤しんでいる。大勢の人間が集まる場で名刺を渡し、通り一遍の薄っぺらい世間話をしたところで、癒着と言えるまでの濃密な関係を築けるわけがない。残るのは顔も思い出せない人たちの名刺の山だ。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2017年8月の親父の投稿のリトークです。

    親父の言葉「ヒットの4原則」。

    ①オリジナリティがある事。
    ②明解である事。
    ③極端である事。
    ④癒着がある事。

    僕はこの中で「癒着」が一番難しいと思っています。相手に対するキラーカードを持っていなければ興味すら持ってもらえない。まずはその武器を手にしなければ誰からも相手にしてもらえない。しかも自分の持つキラーカードが必ずしも相手に対するキラーカードになりうるかと言われたらそうでもない。人によって、嬉しい事も楽しい事も、悲しい事も苦しい事も違うから。
    キラーカードとは、相手から必要とされる要素。相手を驚かせたり、喜ばせたり、幸せにできる力。悩みを解決したり、願いを叶えたりする能力。僕にそんな能力があるとは思えないから、この人だと心に決めた人に対して、一点集中するしかない。
    かつて、親父が石原慎太郎さんに初めてお会いする際に、何冊もの小説を暗記して、ご本人の前で読み上げたと言う驚愕のエピソードは、僕の人生において指針となっております。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ あれだけ美味しい唯一無二の鮨を食べさせてくれるのは絶対的な三上雅博のキラーカードだ。
    三上雅博は艱難辛苦の果てに圧倒的努力で自分の鮨の世界を創り上げた。そして、今も七転八倒しながら精進を続けている。これは自分の切り出すキラーカード100枚にも匹敵する。三上雅博の鮨に僕が感動しなくなった時、三上雅博は他のキラーカードを差し出してくれれば良いよ。だけど、僕は死ぬまで三上雅博の鮨に感動すると思うよ。
    嗚呼、猛烈に先日三上雅博が大阪から持って来てくれた太巻きを食べたい。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    親父、有難う御座います。
    そんな風に言って頂き朝から涙が溢れます。親父にはいつも返しきれないほどの恩を頂いております。感謝ばかりです。
    僕が「親父」と慕うのは生涯で見城徹ただ1人です。唯一無二の親父に、喜んで頂けるようこれからも精進して参ります。いつもいつも有難う御座います。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    異業種交流会の話で僕もひとつ。

    僕は北海道出身なので大阪に知り合いは皆無でした。地元小樽で商売に失敗して、自己破産して、全財産の100万円と包丁を握り締め、流れ着いたのが大阪の街でした。ビジネスホテルやカプセルホテルを転々としながら、求人の一番上にあると言うだけで応募したのが前の会社です。そこで寿司店をやりたいと相談を受け、どんな店にしたいのか話を聞いていたら、こぢんまりとした予約困難店を作りたいとの事でした。
    北海道で店を潰したばかりの自分に、そんな事を成し遂げるのは絶対に不可能だと思いましたが、やるなら5年。そう決めました。その期間に目的を達成出来なかったら死のうとも決意しました。だからその時は5年で死ぬ計算で生きていました。(笑)
    平均睡眠時間は1時間。否、家に帰れる時間が1時間。風呂に入って仮眠するだけの6畳のワンルームが唯一の休息の場所。ほぼ休み無しで働きました。
    少しずつ周りの皆様の応援も頂ける様になり、8席の小さなお店ではありますが、1日2回転。多い時は3回転。定休日は常連様の為に解放し、結果的に3年ほどで予約1年待ちのお店を作ることが出来ました。
    最初は大阪に知り合いもいないので、藁にも縋る思いで高い会費を支払い、異業種交流会にも参加しました。毎週一回、朝の6時にホテルに集まり、どれだけ会に貢献出来たかを話し合う。湧き起こる拍手と歓声。そこで毎回1分間スピーチをしたりしていましたが、段々と虚しくなって、僕には時間の無駄だと言う事がよく理解出来たので、3ヶ月も経たないうちに行くのを辞めてしまいました。

  • 見城徹
    見城徹
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    アーカー創業者、今はアーティストの福王寺朱美の個展へ。左は慶應病院・高石官均教授。右はユナイテッド・アローズ創業者・重松理名誉会長。

  • 見城徹
    あやかあやか

    旦那が亡くなる前に、もう一度会いたかった人が3人いると言っていました。
    そのうちのお一人がユナイテッドアローズの重松会長でした。
    大好きだった見城さんと重松さんのお写真✨
    旦那の写真の隣に飾ってあげよう😊
    しかし、見城さんかっこよすぎます!!