みいこ見城先生 わたしの様な稚拙なヤジコメにも返信して下さり、いつも感謝の念でいっぱいになります。「トラ猫とタバコ屋のばあちゃん」 はまだ誰も知らない時にさくらさんが素直な感想を見城先生のトーク部屋にして下さってそからジワジワと口コミで拡がっています。こんなわたしの感想なのに見城先生は担当編集者さんに伝えて下さり恐縮でしたm(._.)m 「トラ猫とタバコ屋のばあちゃん」がもっと拡がって行きますように。
見城徹のトーク
トーク情報- 見城徹
見城徹 文春の中居正広氏報道“訂正”に会見要求「誤報が生まれた経緯を正確に説明した方が」著名編集者(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/63b1e25adac0a248506753deb918bcd55bddcf1d
- 見城徹
見城徹 ↑ 有難うございます。
[無理]は「理」が「無い」と書きます。僕のような凡人は「理」があることをしていたら天才たちには敵わないに決まっています。だから、無理を選んで突破して来た。「理」が無いことをやり切って結果に繋げて来たのです。だから、いつも苦しい。だから毎日憂鬱です。それが肉体的に限界に来ていることは解っているつもりです。要は今までして来た人生を降りるか?降りないか?の問題です。リングを降りれば楽になります。けれど、僕は降りない。[あしたのジョー]のようにリングで死ぬ。白い灰になって燃え尽きる。
「無理を突破しなければ、人生じゃ無い!」そう呟いて[あしたのケンジョー]になります。
I Will Go to War! 見城徹 三上雅博三上雅博 1980年1月29日この世に生を受け、今日で45歳になりました。
北海道小樽市オタモイ1丁目17番21号。
長屋の団地群。僕は海岸の側の山間の集落みたいな場所で生まれ育ちました。気がつけば随分遠くまで来てしまいました。
やっぱり僕は鮨職人になるために生まれて来たのだと思います。今考えると全ての事象が僕を鮨の世界へ誘導していた様にさえ思うのです。実は未来が先に決まっていて、人生とはその伏線を回収して行く事に他ならない気がするのです。
鮨の世界に関わって30年。今日まであっという間でした。
僕の人生は失敗と挫折と後悔の繰り返し。何度か死にかけながら、なんとか今日まで生き延びてきました。過去の全ては時の流れが物語に変えてくれます。
僕は色んな物を捨てながら、色んな事を諦めながら、ただひとつだけの鮨に縋り、しがみつきながらこれからも、「往く道は精進にして忍びて終わり悔いはなし」と、声を大にして歩き続けます。
親父、先日は感動の誕生日祝いを有難う御座いました。感謝で涙が溢れます。
生涯一鮨職人。三上雅博。