削除されたユーザー『サービスマンという病』読了しました。 ここまでくるのに、血の滲むような当たり前に感じるようなことを、本当に淡々とされてきての、今があるんだなぁと感嘆いたしました。小さいことの積み重ね。どうすればお客様に喜んでもらえるかということを徹底的に考え、本当に苦しい作業を怠ってはいけない。 そんなことを思いつまされました。 人の心を掴むことは、圧倒的努力。 それが出来ていない自分の胸は今夜も苦しいです。
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 静岡新聞の僕のコラム[窓辺]第3回
『ホールインワン』(2019.1.21掲載)
裾野市にあるゴルフ場『ファイブハンドレッドクラブ』。渡辺淳一さんの別荘が三島にあり、このゴルフ場のメンバーだったのでよくゴルフをご一緒した。
1998年3月11日、僕は初めてのホールインワンを177ヤードの11番ホールで達成した。郷ひろみとラウンドしていた時のことだ。
その日、僕は徹夜で彼の原稿を最終入稿し、そのままゴルフ場に向かった。その原稿とは郷ひろみが二谷友里恵との離婚の経緯を書いた『ダディ』である。
離婚届提出日に発売し、世間はその本で2人の離婚を初めて知るという秘密裏のプロジェクトだった。入稿作業は極度の緊張の中で進められ、その出版を知っていたのは社内でも3人だけだった。眠くて疲れてはいたが、やっと原稿と向き合う作業が終わって心は爽快だった。
5番アイアンで打ったボールが2バウンドしてカップに吸い込まれた。僕はその時、『ダディ』がミリオンセラーになることを確信した。
実際に前代未聞の初版50万部を刷った『ダディ』は飛ぶように売れ、発売5日後に発行部数100万部に到達した。あれは天の啓示だったと今でも思う。
その後、長嶋茂雄氏を始め何人もと『ファイブハンドレッド』を廻ったが11番ホールに来ると必ずあの光景を思い出す。
圧倒的努力をした者には運命の女神がその結果の予兆をどこかで知らせてくれる。自分の人生を振り返る時、あのホールインワンほど劇的なメイク・ドラマはなかったと思っている。