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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    中川 剛中川 剛

    昨夜も仕事後の遅いジムでした。身体が確実に変わってきてる。重量も少し増やせてきた。精神的にも充実感がある。

    まずは、東京国際映画祭で映画「栄光のバックホーム」を観るまでだった。
    今は、もう一度、「栄光のバックホーム」を観る日まで。次は、4回目の「栄光のバックホーム」。さらに次は、扉座講演まで。そのまた次は、2025年末まで。小さな目標を大事にしてやる切る。
    多分、これくらいまで続けていれば、来年も自然と続く。「目標を持って続ける事」。今は、この事に固執して只管取り組んでいます。
    奮い立たされる音楽を聴きながらウェイトトレーニングをしていると、ハングリー精神を思い出している気がします。

    前よりアバクロのポロシャツが似合うだろうか。

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  • 見城徹
    中川 剛中川 剛

    ↑映画「栄光のバックホーム」の熱狂プロダクションノートNo.119。ネタバレになることを書きたくありませんので、注意しつつ多くを語りませんが、雨の日の撮影秘話に感動します!「そうだったのかぁ!」と唸りました。途轍もなく印象的なシーンでしたから。
    また観たい‼️

    映画「栄光のバックホーム」は、11月28日(金)に全国で公開‼️もう直ぐです‼️‼️

  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年11月16日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2023年5月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。

    1969年6月24日、20歳で自殺を選択した立命館大生・高野悦子のノートに記されていた一文である。

    あれから54年が経過した。僕は72歳になった。高野悦子が生きていれば74歳になるだろうか。
    自分と同じ問題に悩み、自分と同じ理由で怒り、悲しみ、喜ぶ。そんな人は存在しない。それを解っているのに求めてしまう。相手を理解する。だから、相手も自分を理解して欲しい。その単純で自分勝手な論理から僕は未だに抜け出せないでいる。未熟な自分が演じる「孤独」という悲劇の主人公。人は誰もが独りだ。高野悦子が二十歳にして到達していた原点で僕は今日も踊っている。

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  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2023年5月の親父の投稿のリトークです。

    並外れた感受性。細部まで神経が張り巡らされ一挙手一投足を見逃さない。親父はわずかな時間で相手の本質を見抜く。
    瞬時に理解する洞察力。観察眼。だから時の総理大臣から道端の僕達まで、みんなが親父に相談し意見を求める。
    そんな凄すぎる親父でも、未だ理解と誤解の間で悩んでいる。僕なんかが誰かをわかったような気持ちになる事も、誰かに理解してもらいたいと思う事も100万年早いのだ。僕はあまりにも未熟だ。
    理解してもらえなくて当たり前。報われなくても当たり前。救われないのが人生だ。人は孤独だ。孤独に怯えながら、誠実と善良を積み重ね、感謝を忘れず生きていくしかない。
    精進精進。ただ精進。I Will Go to War!


    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    今日は2025年3月にリトークした、2023年5月の親父の投稿を
    再リトークさせて頂きます。

    自分の文章を読み返すと情けない。
    それでも、この文章は好きです。
    だから手を入れて、もう一度投稿します。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    並外れた感受性。空気の揺れまで感じ取る。
    細部にまで神経が張り巡らされ、一挙手一投足を見逃さない。
    親父は、わずかな時間で相手の本質を見抜く。
    瞬時に理解する洞察力。観察眼。
    だから総理大臣から、道端の僕達まで、みんなが親父に相談し、意見を求める。
    これほどまでに圧倒的な親父でさえ、未だに「理解」と「誤解」の間で悩んでいる。
    僕なんかが理解した気になることも、理解してほしいと願うことも、一億光年早い。

    僕は、あまりにも未熟だ。

    理解されなくて当たり前。報われなくて当たり前。救われないのが人生だ。
    人は孤独だ。
    孤独に怯えながら、誠実と善良を積み重ね、
    感謝を忘れずに生きていくしかない。

    往く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし。

  • 見城徹
    MiRAIMiRAI
    投稿画像

     [栄光のバックホーム]の素晴らしさについて、何度でもしっかりと書いておきたい。

     まず、「病」と「死」に立ち向かう話である以上、観る側にも覚悟を求められる映画だということ。作り手との間に“人対人”として対峙する無言の交錯が確かに存在し、これを徹底的につきつけられる。

     もし[奇跡のバックホーム]を映画化されていたのなら、あのバックホームの“奇跡”や阪神の優勝に、よりフォーカスした映画になったと思う。これだけでも凄いことなのだが、見城さんは、この物語を母親の目線で書かれた[栄光のバックホーム]を創り上げられた。これによって背景に死生観が立ち上がり、私たち自身の生き方をより深く問う大作となった。

     これを映像化するにあたっての根幹にある凄み。それは、肉体の感覚、肉体の意識を徹底的に再現する姿勢と言える。これを私は最初、ほとんど理解できていなかった。

     作品全体に、どこか“未成品”のようなザラつきが漂う。昨今の映画らしいCGや構成、美談扱いを徹底的に拒む。これらは所詮小手先だと言わんばかりに、一貫して私たちを現場に導き、そのうえで、役者の肉体や体温、生命力の激しさ、リアルな情景に語らせていく。

     主演である松谷鷹也さんと鈴木京香さんは圧巻だった。肉体から噴き出る存在感を見せつけられた。
     松谷鷹也さん演じる横田慎太郎さんの熱狂、圧倒的努力、目標を掲げ立ち向かう姿勢。病と闘いながらも決して消えなかったその根源的な情念を想像したとき、自分の内側にもそれがあるのかと、問わずにはいられなくなった。
     鈴木京香さん演じる母親の、全身全霊を捧げるかのような母性、家族の絆、球団や仲間の男同士のやりとり。まるでその場にいたかのように、自分自身の心のヒダに染み込んでいった。

     過日、テレ朝の番組「奇跡のバックホーム 〜阪神 横田慎太郎の物語〜」を観たのだが、終盤に、この物語の深みに触れる、とても腑に落ちるシーンがあった。それは、取材を受けるご両親の背景に虹がかかる場面。私はこの虹を見て、“最後の港”という言葉を思い出した。作品の中で、母親が闘病中の慎太郎さんを諭すように語った言葉だ。
     横田慎太郎さんは、あなたとの人生は最高だったと、家族から声をかけられながら亡くなったのだが、そのことと、この虹、港という言葉が心の中で重なった。人間の人生の価値とは、様々な絆を断ち切った先になお残る時間軸を超えた何か。そんな、未知の領域すら交錯させ思考したくなる、人間存在の根源に触れる作品だった。

     見城さん、秋山監督。大変見応えのある、素晴らしい映画でした。ありがとうございました。この作品が、多くの人に届きますように。公開が近づくにつれ、私まで緊張しています。