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見城徹

↑ 幻冬舎を創って32年。苦闘の連続だった。 僕の恐怖と不安と絶望の日々を誰も知らない。地獄を這いずり回り、辛うじて孤独な毎日を生き抜いた。32年が経った。今朝も恐怖と不安と絶望に苛まされている。耐えて、耐えて、耐え抜く。 狂わなければ戦えない。狂え。狂って立ち上がれ。狂って突っ込め。狂ってこそ人生。僕にはそれしかない。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    ワインを撮り忘れた。最近、撮り忘れが多い。
    ルフレーヴのビアンヴィニュ・バタール・モンラッシェ2021だったと思う。最高の状態でした。

  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年2月22日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2021年10月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ↑ 僕がKADOKAWAに入社して配属されたのは文芸誌[野性時代]でした。[野性時代]は短編や連載の他に毎月、長編一挙掲載というのがあって、原稿用紙400〜600枚ぐらいになりました。
    生原稿を印刷会社に入稿する前に、担当編集者、編集長、校正者、挿絵を担当するイラストレーターに渡すためにコピーを4通取らねばならず、それは新人の仕事でした。短編は苦になりませんが、長編一挙掲載ともなると大変です。1975年ぐらいのコピー機は4通いっぺんには取れず、4回繰り返さなければなりません。この雑用をしながら僕は考えました。コピーを5通取ろう。1通を自分用にしようと思い付いたのです。それを家で読みながら自分だったらどう直すかを考えるのです。
    雑誌が出来て作品を読むと担当編集者は大した直しを入れていません。自分の直しはもっと作品を良くしたのにと、いつも思っていました。やがて、担当作家を持つようになると、そのコピー取りが僕の編集力を鍛えてくれたことを実感しました。雑用も本人の工夫一つで黄金の仕事になります。今でもあのコピー取りが僕の仕事の原点です。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    雑用をおろそかにする人に大きな仕事は出来ません。仕事が出来る人と出来ない人。雑用から差は付くのです。

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  • 見城徹
    見城徹見城徹

    お茶だって淹れ方一つ、出し方一つで何かが変わります。自分なりの工夫をする。真心を込める。
    それだけで何かが動きます。誰かがちゃんと見ています。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2021年10月の親父の投稿のリトークです。

    755は奇跡のSNSだ。親父の珠玉の言葉で溢れている。
    僕には親父の言葉が暗い地獄に天から垂れる蜘蛛の糸の様に感じます。
    救われたり、鼓舞されたり、感動したり。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。