
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 秋山純秋山純 横田さんの“教育係”北條が「栄光のバックホーム」で涙「ヨコに会いたい。もうちょっと野球やる」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能 https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/11/06/articles/20251106s00041000351000c.html
見城徹 K0183K0183 見城さん
「行為することは死ぬことだ」
三島由紀夫、奥平剛士、安田安之が示した極限の純粋性。その一瞬の劇的な行為に対して、見城さんは「僕は狡猾にこの世界で生き延びる道を選んだ」と仰る。
しかし私には、それは決して「逃げ」ではなく、同等に苛酷な、いえ、ある意味でより苛酷な道を選ばれたのだと思えてなりません。
一瞬の純粋な死ではなく、毎日毎日、死と向き合いながら生き続けること。74歳になった今も戦場に立ち続けること。
「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜」
「今日にかけてかねて誓ひし我が胸の思ひを知るは野分のみかは」
どちらにも、長い準備と静かな緊張を、ついに「今日」という一点に収束させる決意が脈打っています。
見城さんは「今日」を一度だけ選ぶのではなく、「今日」を毎日更新し続けてこられた。
それが「往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」という境地なのだと、いま深く理解いたしました。
「世界はこともなく僕の前に佇み、僕は73歳になって生きている」
この一文に、見城さんの深い諦念と、それでも戦い続ける覚悟の両方を感じます。
生きることは、覚悟を差し出し続けること。
生に借りた時間を、覚悟で返していくこと。
私もまた狡猾に生き延びながら、一瞬の純粋な死ではなく、長く苛酷な生を選んだ者なのだと自覚します。




