ログイン
詳細
見城徹

おはようございます。2025年6月28日。 大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2018年6月の僕のトークです。↓

前へ次へ
見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年6月28日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2018年6月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ⬆︎ どうしても欲しかった一枚のチケット。静岡県清水市の高校生。あれから52年の月日が流れた。松本隆の[微熱少年]。竹内まりやの[マージービートで唄わせて]。ビートルズは二人が亡くなった。僕はまだ生きている。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    高校1年生。休み時間。県立清水南高校の廊下。初夏の風の匂い。憧れの女生徒が僕に初めて声をかけて来た。
    「見城君、ビートルズには行くの?」
    あれから52年。まるで昨日のように思い出す。
    Only Yesterday.

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    だから今日を極端に生きた方がいい。
    [人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり]
    狂ってこそ、人生。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2018年6月の親父の投稿のリトークです。

    あっという間の人生だ。気がついたら随分遠くまで来てしまった。小樽市オタモイ1丁目17番21号。生まれ育った住所をいつまでも覚えている。田舎と言うか自然。海岸近くの山間に、青い屋根の平屋の長屋が立ち並んでいた。あの団地群はもう全て取り壊されてしまった。嗚呼、諸行無常。
    刹那に終わる人生ならば、実をも散らせて狂うのみ。極端こそが我が命。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    59年前の1966年6月30日。忘れないあの日。
    ビートルズが日本武道館で歌った日。僕は15歳だった。静岡県清水市吉川450。これが僕の生まれ育った小さな場所だ。あの日、高鳴る胸の鼓動を抑えなが僕が見上げた空の蒼さをくっきりと覚えている。生きて在ることの狂おうしさ。あの日から僕の人生は始まった。