トモコンのトーク
トーク情報トモコン 削除されたユーザー削除されたユーザー NEWS PICKS 第16回
月刊カドカワは、音楽雑誌もやっていなかった、総力特集と、様々な角度からアーティストの人間性を浮き彫りにする、凄い雑誌でした。
しかも、尾崎豊の連載、村上龍と坂本龍一の往復書簡なと、連載も多彩で豪華。総力特集されているアーティストのファンにとっては、永久保存するしかない凄い雑誌で、私も愛読させて頂いてました。
尾崎豊さんの「シェリー」をレコード屋さんで聴いて、所属事務所のMOTHER&CHILDRENへ行くと既に6社が前にいる。それをライブに通い詰め、アルバムを聴きこみ、感想を書くことで、本人と会うことになる。そして、尾崎豊さんに感想の全てを伝え、見事に心を射抜き、本を作る事になる。
その条件となった、ハウンドドッグの「負け犬」という本。藤沢映子さん著による、この本もまた素晴らしい。見城様が、大友さんを説得してタイトルは「負け犬」。内容は、ハウンドドッグのデビューのきっかけとなった、コンテストから、メンバーチェンジ、そして、伝説となったガラガラの西武球場で、しかも豪雨の中のライブ。クライマックスは、このライブで演出用のマグネシウムが誤爆し、大友さんの目に火花が入り倒れる。治療して再びステージ復帰するのだが。
この時期、ハウンドドッグは、レコードが売れず、事務所の後輩、尾崎豊の後塵を拝し、レコード会社からの契約も、最新アルバム「SPIRITS」が売れなかったら打ち切りという状況。その中で、出されたこの「負け犬」は、ファンのバイブルとなる。さらに、奇跡的に、ハウンドドッグは、この本と同時期に「フォルテシモ」をリリースし、これが爆発的に売れ、メジャーシーンに君臨するが、まさかここにも見城様がいたとは。。。ちなみに、翌年のまったく同じ日に、ハウンドドッグは超満員の西武球場で、「約束の日」と銘打ったまったく同じ内容のライブを行う。それは「負け犬」なくしてはあり得ない、伝説の日でもありました。
良いと思ったアーティストには、すぐに会いに行く。CDを聴きこみ、ライブに通い詰め、感想を伝える。相手にとって、この人となら新たなステージに行けると感じさせる言葉を、考え、考え、考え抜いた上で、相手の心に向けて放つ!その見城様のスタイルは、変わらない。
勉強になります。ありがとうございます。
明日の連載も楽しみにしております。トモコン 見城徹見城徹 ↑ 申し訳ありません。心の中の一番脆いところに触れられて、乱れてしまいました。
僕は21歳の時に「理想」や「夢」に生きるのを止めました。いや、そこから逃げ出しました。だから、「理想」や「夢」という言葉が嫌いです。僕にとって肉体化出来なかった言葉だからです。
[たべて苛酷にならない夢を/彼女たちは世界がみんな希望だとおもっているものを/絶望だということができない]
吉本隆明の「少女」という詩の一節です。僕は食べて苛酷になる夢を飲み込めませんでした。 飲み込めなかった劣等感と自己嫌悪と向き合いながら、懸命に生きて来ました。
21歳で死んだ僕に宛てて65歳の僕が書かずにはおれなかったのが文庫版「たった一人の熱狂」のあとがきです。トモコン あさふみ(浅井智文)あさふみ(浅井智文) ↑実践をともなってない言葉は、どうしても薄っぺらな言葉になってしまいます。たいそう立派な言葉を書いていても胸に響かない言葉を目にすることがあります(ここにいる皆様のことでは決してございません)。薄っぺらいなあと思う文章は読めば分かります。全く魂がこもってないんです。それはどうしてかと考えると、言葉だけなんです。苦しんでないんです。行動がともなっていないから、胸に響いてこないんだなあとつくづく思います。私が十分できているとは、全く思っていませんが、言葉に熱い魂がさらに入るよう日々実践して、「自己検証、自己嫌悪、自己否定」を繰り返します。朝から胸に突き刺さるお言葉ありがとうございます。
トモコン 三浦崇宏三浦崇宏 『読書という荒野』感想
幻冬舎の箕輪くんと山口さんからご送付あただいた本を出張先のホテルで読み終えた。想像通り、後悔に頭を抱えることになった。『編集者という病』を読んだ大学一年生の頃を思い出す。また人生を変えられてしまう。
『読書という荒野』は劇薬だ。安易には読まないほうがいいんだ。“見城社長が有名だから” “NEWSPICKSBOOKは仕事に役立つから” そんな生半可な覚悟で読み始めたら取り返しのつかない事故になる。この本を一度読んでしまったら、もうそれまでと同じようには本を読めなくなる。映画を見られなくなる。旅も、恋愛もできなくなる。安易な楽しみが人生から消え去る。それらすべての体験が自分自身を賭け金に、命がけで向き合わないと意味がない対決なのだと気付かされてしまう。この本を読んで、過酷な、だからこそ、価値のある人生に向かう決意をしないでいることは困難だ。これだから、読書はおそろしい。
『読書という荒野』を読み終えた瞬間、そこがホテルの一室であろうが、愛する人の部屋であろうが、オフィスの休憩所であろうが、自分がたった一人、人生という荒野に立ち尽くしていることを自覚するだろう。そして、その荒野を踏み進めるかどうかを判断せざるを得なくなる。
ただし、この本が親切なのは、荒野を一人歩むための羅針盤としてのブックガイドになっていること。そして、その荒野を踏破しようとしている先駆者がいる事実を示していることだ。
その男の名は、見城徹。
そしてまた、夜明けにも関わらずぼくはノートパソコンの電源をつける。ぼくはぼくの荒野を征かねばならないから。