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見城徹

何故、憂鬱になるのか? それは他の誰にも出来ない「達成」を自分に課すからです。 「絶対に逃げない」 そう決めるからです。 他の誰かができるようなことをしていても大きな結果は出ません。 「憂鬱」にならなければ駄目なのです。 だから、「憂鬱」こそ黄金の果実の素なのです。 憂鬱でなければ、仕事じゃない。 憂鬱こそ我が友。 だから、昨日までの自分を振り切って、もう一段ギア・チェンジ。 オーバー・ザ・トップ!

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    今日は遅くなってしまいましたが、2018年2月の親父の投稿のリトークです。

    誤魔化さない。嘘をつかない。逃げ出さない。そう自分に言い聞かす。策を弄さない。安易な道は選ばない。正々堂々、正面突破。
    戦うのをやめてしまったら、僕はきっと地獄の底まで坂を転がり落ちていく。それが怖い。人生の全てが水の泡と化す様な恐怖だ。だから震える足でなんとか一歩を踏み出す。憂鬱に立ち向かう。
    自分にだけは負けない様に、誠実に、善良に、地道に、直向きに努力を重ねるしかない。

    明日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年6月19日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2018年3月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    秋元康は今も起きている。

    ぼくはぼくのこころがいないあいだに世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ だから夜はほとんど眠らない 眠るものは赦すものたちだ  ーー吉本隆明[廃人の歌]

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  • 見城徹
    見城徹見城徹
    秋元康
    はい。起きています。笑

    未明の僕のトークに拍手してくれたので起きてるなあ、と嬉しくなりました。裁量労働性がどうであれ、止むに止まれぬ衝動で不眠の夜を労働で過ごす[廃人]を僕は抱きしめたい気持ちです。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    たれがじぶんを無惨と思わないで生きえたか ぼくはいまもごうまんな廃人であるから ぼくの眼はぼくのこころのなかにおちこみ そこで不眠をうったえる 生活は苦しくなるばかりだが ぼくはとく名の背信者である ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ 

    ーー吉本隆明[廃人の歌]

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。2018年3月の親父の投稿のリトークです。

    「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ」

    僕が吉本隆明の詩と出会ったのは755。親父の投稿で初めて知りました。無知で情けない限りですが、それ以来大好きになりました。
    吉本隆明の詩は難解ですが、意味がわかった時、僕の心と解け合って、混ざり合っていく気がするのです。

    世界は夢や希望に溢れている。世界は笑顔に満ちている。ここが平和だ安泰だ。レールに沿って歩く道の先に明るい未来があると信じている。そんな人々は目をキラキラ輝かせながら寄り添いあって生きている。それが眩しすぎて、恐ろしくなって、僕は見ていられない。目を開けてはいられない。
    僕はこの世界の秩序を乱すバグだから。この世界にとって僕の言葉は混乱を運ぶノイズでしかない。廃人が贈る不協和音は誰の耳にも届かない。やっぱり僕はひとりぼっち。この世界にはいられない。
    僕は出ていく。冬の圧力の真向こうへ。
    僕は出ていく。無数の敵のど真ん中へ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    死ぬために生きる死ぬために生きる
    投稿画像

    『読書という荒野』を読んだ。
    デスクに並べられた無数の本。見城さんの覇気、佇まい、着こなし。まずカバーに惹き込まれる。

    秋元康さんの帯の言葉も物凄い。
    僕は見城さんの本を読み始めて、「読了」という言葉を使うのをやめた。
    それほどまでに濃く、強く、熱い。それでいて儚さ、弱さ、繊細さが見えてその両極のスイングに没入してしまう。
    見城さんの本は、読みながら痛みを伴い、自分の血肉にしなければ勿体無いと感じさせてくれる本だ。

    どの言葉も見城さんが自分の人生を生き切って獲得してきた言葉だ。
    それ故に、この本の中からどこかを切り取って書き残すのは大変失礼だと思うが、自分の中で大好きなパートがあり、そのパートに対する箕輪さんのコメントも大好きなので、今の自分の考えや感動を残すためにここに記す。

    第5章''旅に出て外部に晒され、恋に堕ちて他者を知る"
    この章に書いてある、

    "『深夜特急』・人生からの脱獄"
    "旅とは「貨幣と言語が通用しない場所に行くこと」だ"

    この2つのテーマと、沢木耕太郎さんの『深夜特急』からの引用を元に語られる、見城さんの旅の本質の切り取り方が途轍もない。
    思わず首を擡げてしまった。

    2017/5/24に公開されたNEWS PICKSの『リーダーの教養書』でも見城さんはこのエピソードや考えを残してくださっている。(以下当該URL)

    https://newspicks.com/news/2257002/body/

    そして、その記事に対する箕輪さんのコメントも素晴らしすぎて、こちらも読むたびに首が擡げてしまう。(以下一部抜粋)

    「自分が旅に何を求めていたか、旅から何を得て、人生にいかに作用していたかを知った。
    何年も前に、ただしていた旅が、また意味を持ち出して、正確な言葉で言い表すことがいかに大切か、改めて気付かされた」

    見城さんの言葉を喰らい、箕輪さんの言葉を喰らい、僕も僕なりに過去の海外での経験や旅への意味合いを見つけ、自分がなぜ心のどこかで海外を求めているのか、理由が少しわかった気がする。

    このように自分を熱くし、自分の内側に気づきをくれる言葉や考えが、最初から最後までぎっしりと詰まっている。

    読書によって正確な言葉と自己検証はもたらされ、正確な言葉と自己検証によって深い思考が可能になる。
    そして深い思考こそが、その人の人生を決める唯一のバックボーンになるのだ。

    僕はもう、血で血を洗う読書という荒野を突き進み始めたのかも知れない。

    見城さん、素敵な本をありがとうございます。
    長く拙い文章を失礼いたしました。