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K0183

あらためて「理解」と「誤解」について考えました。 過去の自分を省みる中で、見城さんの「個体の掟」という言葉に思いを馳せます。 それは、共同体に属しながらも孤独に立ち向かい、 誤解されても信念を曲げず、圧倒的努力で己を貫く生き方。 そこには「正直、誠実、善良、真心」が一貫して流れている。 この4つがなければ、「個体の掟」はただの独善に堕してしまう。 私はまさに独善に堕していました。 中身の無いただの「自己愛の中でしか相手を愛せない。自意識過剰と自己承認欲求の塊。」に過ぎませんでした。 多くの誤解を生み、誰かを傷つけ、そして自分も壊れ続けてきました。 その時の私は、一番浅くて醜い姿をしていたのだと思います。 原動力を誤った方向に向けていました。 だからこそ今は確かに分かる、「正直、誠実、善良、真心」を貫くことでしか、あの原動力を正しい方向に向けられないのだと。 人は一人では生きられない以上、誤解に塗れて生きる宿命を負っている。 理解は奇跡に近く、だからこそ誤解をも抱きしめて歩くしかない。 理解されない痛みに耐え、誤解を背負ってでも前に進む。 そして、たった一人で生き、たった一人で死んでいく―― その覚悟の果てにこそ、ほんとうの孤独と向き合えるのだと。 私にはまだ、見城さんのように「理解されなくても上等!」と言い切る強さはありません。 でも、逃げない。 「正直、誠実、善良、真心」を貫きながら、理解されない痛みに耐え続ける。 何度倒れても、ここに立ち返る。 見城さん、ありがとうございます。 「往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」 私も、戦います。 押忍。I Will Go to War.

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K0183のトーク
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  • K0183
    中川 剛中川 剛

    ↑K0183様
    そんな風に言っていただき、恐れ入ります。また、誠に有難うございます。

    ボールを蹴る。ボールを止める。

    中田英寿さんは、この基本動作を想像を絶する精度まで磨き上げていらっしゃったのではないかと思います。
    ヨーロッパの屈強な選手達の強烈な当たりにも耐える筋力、身体の柔軟性、重心が低く安定したドリブル姿勢も、活躍している日本人選手などいなかった当時のヨーロッパで縮こまらずに活躍してみせた強靭なメンタリティも、試合中常に首を振り全体を俯瞰してゲームメイクする頭脳も、衝撃的で鮮烈でした。

    その鮮烈さの裏側に張り付いている圧倒的努力が村上龍さんの美しい文章で表現されていて、それはそれは感動しました。随分と前に読んだコラムなのですが、今でも思い出す事があります。

  • K0183
    K0183

    おはようございます。早速のお返事ありがとうございました。
    中川さんが指摘された「ボールを蹴る。ボールを止める」という基本動作への言及が特に印象的です。華やかなテクニックではなく、最も基本的な動作を「想像を絶する精度まで磨き上げる」— ここに、表面的な努力と本質的な努力の違いが凝縮されている気がしました。
    中田選手が「屈強な選手達の強烈な当たりにも耐える」「常に首を振り全体を俯瞰する」ことができたのは、基本動作が完全に無意識化されていたからかもしれません。
    豪雨の中でも、どんな状況でも崩れない技術の基盤を作ることが大事だと思いました。
    今週も始まります。基本動作の繰り返し。
    中川さんの言葉に、いつも本質を気づかせていただいています。ありがとうございます。

  • K0183
    見城徹見城徹

    ↑ 相手から理解されたい、報われたいと思った瞬間、相手は自分から逃げて行きます。自分の一番浅くて醜い部分が出てしまうからです。しかし、愚かにも人はそれを繰り返します。少なくとも僕はそうです。自分を捨て切れない。自己愛の中でしか相手を愛せない。自意識過剰と自己承認欲求の塊になってしまう。そうやって73歳まで来てしまいました。しかし、それが僕の何かを成す原動力だったことも確かです。理解されなくても報われなくても上等!そう思い切れれば、自分の劇として完結します。切ないけどね。理解と誤解の間には深くて暗い河がある。ひとり。一人。独り。それでも生きます。誰が自分を共同体不適格者と思わずして生きれたか?忍びて終わり悔いなし。押忍。I Will Go to War!

  • K0183
    K0183

    あらためて「理解」と「誤解」について考えました。

    過去の自分を省みる中で、見城さんの「個体の掟」という言葉に思いを馳せます。 それは、共同体に属しながらも孤独に立ち向かい、 誤解されても信念を曲げず、圧倒的努力で己を貫く生き方。 そこには「正直、誠実、善良、真心」が一貫して流れている。 この4つがなければ、「個体の掟」はただの独善に堕してしまう。

    私はまさに独善に堕していました。 中身の無いただの「自己愛の中でしか相手を愛せない。自意識過剰と自己承認欲求の塊。」に過ぎませんでした。 多くの誤解を生み、誰かを傷つけ、そして自分も壊れ続けてきました。 その時の私は、一番浅くて醜い姿をしていたのだと思います。 原動力を誤った方向に向けていました。 だからこそ今は確かに分かる、「正直、誠実、善良、真心」を貫くことでしか、あの原動力を正しい方向に向けられないのだと。

    人は一人では生きられない以上、誤解に塗れて生きる宿命を負っている。 理解は奇跡に近く、だからこそ誤解をも抱きしめて歩くしかない。 理解されない痛みに耐え、誤解を背負ってでも前に進む。 そして、たった一人で生き、たった一人で死んでいく―― その覚悟の果てにこそ、ほんとうの孤独と向き合えるのだと。

    私にはまだ、見城さんのように「理解されなくても上等!」と言い切る強さはありません。 でも、逃げない。 「正直、誠実、善良、真心」を貫きながら、理解されない痛みに耐え続ける。 何度倒れても、ここに立ち返る。
    見城さん、ありがとうございます。 「往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」 私も、戦います。

    押忍。I Will Go to War.

  • K0183
    見城徹見城徹

    高野悦子の[二十歳の原点]を探しているのだが見つからない。20歳で自殺した高野悦子が自分の成人の日にノートに書いたうろ覚えの一行が胸に沁みる。

    「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」

    あれから55年が経った。73歳の僕の今の心境も同じである。

    「独りであること、未熟であること、これが私の
    七十三歳の原点である」

  • K0183
    K0183

    先週から仕事が忙しい。
    四半世紀、技術者をやってきても、未熟さを痛感する日々。

    周りは評価してくれるけど、自分ではそう思えない。
    目指す道はまだまだ先。孤独な戦い。

    今日も本当に大変だった。
    人の人生がかかっているから、心的ストレスも大きい。
    これも全然慣れない。当たり前だけど。

    ようやく帰宅。
    食事を作る気力もない。
    赤ワインを開けて輸血開始。

    見城さんのトークを見る。

    「独りであること、未熟であること、これが私の七十三歳の原点である」

    七十三歳で、この言葉を言い切る。

    本当に生身の人だろうかと思う。
    鉄人、超人、スーパーマン……
    思いつく限りの言葉を並べてみたけど、どれも足りない。

    人は誰も本質的に独りだ。
    孤独は共有できない。

    でも、孤独を知り、未熟であることを認め、
    それでも戦い続ける者には
    言葉を超えた共鳴があるのだと、教えられた気がします。

    七十三歳の原点。
    美しく、そして強い。

    なんか涙出てきた。

    心に刻む。

    明日も戦場。
    でも、負けない。

  • K0183
    見城徹見城徹
    投稿画像

    複雑で深い仕事をしてシンプルに供する。
    [やま幸]のマグロが最も生きる店。この店に10年通えた幸せをしみじみと噛み締める。

  • K0183
    K0183

    複雑で深い仕事をしてシンプルに供する。
    技術者の目指す究極の境地。
    最もシンプルなものにこそ、最も非凡なものが宿る。
    ――Simple is Beautiful。

    技術の裏に、どれだけの修練鍛錬の積み重ねがあるかは人には見えない。

    私自身を振り返れば、ピストルとナイフを渡されて、いきなり戦場のど真ん中に立たされた。それからずっと命を削って、生き延びるために技術を磨いてきた。

    技術は引き算。洗練されるほどに多くのものは要らなくなる。ごく少数のよく磨かれた技術だけで良いと思うようになる。

    また真の技術は、逆説と矛盾の中にこそある。

    言葉にしても理解されない。その裏に、どれほど途方もない時間が費やされているか、想像もできないはずだ。

    突き抜けるほど、どんどん孤独になる。敵も多くなる。

    孤独であろうと、報われなくとも、戦場に立ち続けます。
    今日も勝った。
    明日も戦場だ。決して負けない。

  • K0183
    見城徹見城徹

    友人の家でご飯をご馳走になって帰って来た。
    友人の心遣いが胸に沁みる。酒は飲まなかった。
    これから気の抜けない仕事があるからだ。
    誠意とはスピードと無理をすること。感想こそ人間関係の最初の一歩。絶望から苛酷へ。断絶から理解へ。僕は明日からも何らかの手掛かりを見付けて生き抜かなければならない。僕が斃れたら世界は終わるという妄想によって。
    「忍びて終わり悔いなし」と呟いて、張り裂けそうな胸にしまう。I Will Go to Hell!

  • K0183
    K0183

    秋分の日から始めた755が、一ヶ月を迎えました。
    何度もリトーク、リアクションをいただき、心から感謝しています。
    また、読んでくださったすべての方にも、心からお礼を申し上げます。

    言葉を綴るという作業は、想像以上に困難でした。自分の心を言葉にしていく過程で、自分の中に隠れていた想いに気づかされました。最初は「自分の心は、自分でも分からないものだな」と思っていましたが、自分自身に向き合ってこなかっただけなのだと悟りました。自分と向き合えない者に、他者への想像力など持ち得るはずがない。そう思い至りました。

    そして755で最も深く学んだこと
    ——それは「正直、誠実、善良、真心」でした。

    私はずっと[個体の掟]と[善良や誠実や真心]は矛盾すると思っていました。しかし見城さんに教えられました。「個体の掟」とこの4つの姿勢は、何も矛盾なく結びつくのだと。両立させるという制約こそが、信念を持って生きるために必要なのだと。

    見城さんが「独りであること、未熟であること、これが私の七十三歳の原点である」と仰った言葉——私も胸に刻みます。どれだけ積み重ねても、孤独は続き、未熟さは消えません。それでも、だからこそ戦い続けます。

    理解されない痛みに耐え、誤解を背負ってでも前に進む。何度傷ついても、「正直、誠実、善良、真心」に立ち返る。——まだ未熟で、そう言い切る強さはありませんが、逃げません。

    見城さんの言葉を胸に——絶望から苛酷へ。断絶から理解へ。
    私もまだリングに立っています。
    戦い続けられることを誇りに思います。

    この1ヶ月で、歩む方向は少し変わったと思います。
    たった1°でも方向が変われば、ずっと歩み続けた先は、だいぶ違う場所に到着すると信じています。
    本当にありがとうございます。

    往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし。
    押忍。I Will Go to Hell!