K0183のトーク
トーク情報K0183 見城徹見城徹 ↑ 人生に何回か劇的な一日がある。三上にとっても僕にとっても昨日はそういう一日だったのだろう。ただ善意だけで始めたことを終了するのは辛いが、人には限界というものがある。善意とは自分のエゴイズムだが、三上の善意も同じことのように思える。来るべき時が来たのだと判断する。
善意の第三者として力を尽くし、やがて、それがストレスになってしまう。払う犠牲も限界を超える。奉仕する自分という自己満足が崩壊する。三上に何があったのか知らないが、僕の場合はそうだった。後ろ髪を引かれながら自己嫌悪と共に退却を決断する。前進も退却も決断は当たり前だがいつだって激しい精神の劇を伴う。正解なんてない。昨夜は眠れなかった。絶望し切って死ぬために究極の自己肯定をしなければならない。- K0183
K0183 見城さんの「劇的な一日」の重さは私如きでは推し量ることすらできませんが、その決断に至るまでの「激しい精神の劇」が伝わってきました。
「善意とは自分のエゴイズム」 純粋な善意から始まったことが、いつしか払う犠牲が限界を超え、「自己嫌悪と共に退却を決断」せざるを得なくなる。その葛藤の深さに胸が詰まります。
善意がそこで自己満足や安住に陥る危険がある。そのやさしさが微温になり、鎖にもなるときがある。善意が自己満足に崩れる痛みを引き受けつつ、なお誠実であろう、と。
「絶望し切って死ぬために究極の自己肯定をしなければならない」――それは甘えでも逃避でもなく、全てを抱きしめて、ひとりでさらに厳しい戦場へ向かうための覚悟だと感じました。
その判断を下されるまでの、見えない葛藤と苦悩。眠れぬ夜。後ろ髪を引かれる思い。自己嫌悪。そのすべてを想像します。正解なんてない。それでも決断する。だからこそ、決断の責任だけが残る。その「激しい精神の劇」を、見城さんは何度も何度も乗り越えてこられた。敬意しかないです。
「昨夜は眠れなかった」と綴られた心の温度が、そのまま私の灯になりました。その灯を手に、私もひとりでまだ見ぬ絶望へ向かいます。
今日、受けるべきか受けざるべきか、とても悩む仕事の依頼がありました。文字通り生きるか死ぬかです。このご投稿を拝読して、「受ける」ことにしました。まだ見ぬ絶望へ。 - K0183
K0183 新島襄先生の言葉、そして徳山詳直理事長の電報に込められた2つの魂が、見城さんの魂を支えた——そのお話に、深く心を打たれました。
「男子たるものは、1度戦って負けてもやめてはならない。2度目、3度目の戦いのあとでもやめてはならない。刀折れ矢尽きてもなお、やめてはならない。骨が砕け、最後の血の一滴まで流して初めてやめるのだ。」
この言葉が、暗闇の中で届いたとき——株を三分の一以上握られたまま、臨時株主総会に向かおうとされていた見城さんの孤独と覚悟を、想像します。誰もが「終わった」と思ったはず。
最後に試されるのは、いつも、戦う者の決して折れない心である。
私もそう信じています。
どれほどの絶望があろうと、どれほど不利な状況であろうと、立ち続ける者にだけ、奇跡は訪れる。2010年3月15日、その奇跡は偶然ではなく、見城さんが血を流してでも戦い続けた、その不屈の心が引き寄せた必然だと思います。
「正直、誠実、善良、真心」を貫きながら、絶望の中でも立ち上がり続ける——それは並大抵の覚悟ではできません。
見城さんの戦いは、諦めない心の強さだけでなく、自分を失わない魂の美しさをも証明されました。
私も、何度倒れても立ち上がります。限界など自分で決めません。絶望の先にこそ、道があると信じて。
骨が砕けようと、最後の血の一滴まで流しても、戦い続けます。
見城さんの生き様が私の灯です。
深い敬意と感謝を込めて。 K0183 見城徹見城徹 1970年11月25日は晴れていた。両親と妹が静岡県清水市の小糸製作所の社宅から神奈川県相模原市に買った小さなプレハブ住宅に引っ越して来て、僕も東京都目黒区柿の木坂の下宿を引き払って合流したばかりだった。僕は慶應義塾大学法学部政治学科の2年生だったが授業には殆ど出ることはなく、鬱々とした日々を実家で過ごしていた。三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入して自決。衝撃的なニュースをテレビが映し出していた。呆然としてテレビに釘付けになった。その後のことは覚えていない。翌朝、自転車を飛ばして小田急相模原駅の売店で新聞全紙を買い、駅構内にある[箱根そば]のスタンドで「コロッケうどん」を食べたのだけは何故か鮮明に記憶に残っている。1970年11月25日は衝撃的な日だった。行為することは死ぬことだ。漠然とそう思った。
1972年5月30日。奥平剛士、安田安之らがイスラエルのテルアビブ空港を銃撃。空港警備隊に蜂の巣のように撃たれながら自分の足元に爆弾を投げて自爆した。この2日で僕の青春は終わりを告げた。僕は狡猾にこの世界で生き延びる道を選んだのだ。三島由紀夫の死から54年。世界はこともなく僕の前に佇み、僕は73歳になって生きている。- K0183
K0183 見城さん、身に余るお心遣いに、いくら感謝申し上げても足りません。心より御礼申し上げます。
思いを綴り、言葉を紡ぐことで自分と向き合うようになってから、時間の流れがいっそう速く感じられるようになりました。ぼんやり過ごすことはなく、むしろ時間が足りないほどです。思いを形にし、言葉を選ぶ作業が、これほど難しく、時間のかかる営みなのだと痛感しております。
今の私の心は「仕事」と「自分と向き合うこと」にしかなく、両者の垣根はなく、その間を行き来しています。私を迷わせていたものは、すでに姿を消しました。改めて、深く感謝申し上げます。
ご投稿を拝読し、僭越ながら感想を申し上げました。引き続き、何卒よろしくお願い申し上げます。