K0183K0183 見城さん、身に余るお心遣いに、いくら感謝申し上げても足りません。心より御礼申し上げます。
K0183のトーク
トーク情報- K0183
K0183 見城さん
「行為することは死ぬことだ」
三島由紀夫、奥平剛士、安田安之が示した極限の純粋性。その一瞬の劇的な行為に対して、見城さんは「僕は狡猾にこの世界で生き延びる道を選んだ」と仰る。
しかし私には、それは決して「逃げ」ではなく、同等に苛酷な、いえ、ある意味でより苛酷な道を選ばれたのだと思えてなりません。
一瞬の純粋な死ではなく、毎日毎日、死と向き合いながら生き続けること。74歳になった今も戦場に立ち続けること。
「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜」
「今日にかけてかねて誓ひし我が胸の思ひを知るは野分のみかは」
どちらにも、長い準備と静かな緊張を、ついに「今日」という一点に収束させる決意が脈打っています。
見城さんは「今日」を一度だけ選ぶのではなく、「今日」を毎日更新し続けてこられた。
それが「往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」という境地なのだと、いま深く理解いたしました。
「世界はこともなく僕の前に佇み、僕は73歳になって生きている」
この一文に、見城さんの深い諦念と、それでも戦い続ける覚悟の両方を感じます。
生きることは、覚悟を差し出し続けること。
生に借りた時間を、覚悟で返していくこと。
私もまた狡猾に生き延びながら、一瞬の純粋な死ではなく、長く苛酷な生を選んだ者なのだと自覚します。 K0183 見城徹見城徹 おはようございます。イルカの[なごり雪]を聴いています。高校を卒業して東海道線清水駅から合格した大学のある横浜市日吉の下宿に向かう汽車を初恋の彼女と待っていた55年前のシーンが重なります。彼女は同じ高校の1学年下。中学時代からずっと憧れた人でした。卒業直前に勇気を出して告白し、卒業式の日に高校の前の海岸を三保の松原に向かって歩く初デート、2人の付き合いは始まったばかりでした。大学入学までの短い期間、毎日のように逢い、夢のように時間は過ぎて行きました。清水駅のプラットフォーム。彼女と手を繋いで立ち尽くしながら、涙がとめどもなく流れました。たった4ヶ月の別れが永遠にも思えたものです。[なごり雪]の「ふざけすぎた季節のあとで」の歌詞が胸に刺さります。
[なごり雪]とは状況は違いますが、あの清水駅のプラットフォームを思い出し、「ふざけすぎた季節」の感慨に浸っています。- K0183
K0183 見城さん
56年前の清水駅のプラットフォーム。手を繋いで立ち尽くし、とめどもなく流れた涙。たった4ヶ月の別れが永遠にも思えたあの日——「なごり雪」に重なるその風景が、鮮明に目に浮かびます。
中学時代からずっと憧れた人。卒業直前に勇気を出して告白し、三保の松原に向かって歩く初デート。大学入学までの短い期間、夢のように過ぎた毎日。その一瞬一瞬が、どれほど輝いていたことか。
「ふざけすぎた季節のあとで」——この歌詞が胸に刺さるのは、あの頃の見城さんが、何も知らず、怖いものもなく、ただ純粋に生きていたからなのだと思いました。見城さんの誰かを想う心の瑞々しさが胸を打ちます。
そして、もう一つのご投稿。
「糞!遠くまで来たくもないのに、遠くまで来た」
この叫びが、どれほどの重さを持っているか。
少年が男になり、子が父になる。王子が王になる。成熟すること、それは薄汚れること。その真実を、見城さんは74年の人生で何度も何度も噛みしめてこられた。
あの清水駅のプラットフォームに立っていた18歳の青年は、こんな未来を想像していなかったはずです。出版界を変革し、数々の作家と魂をぶつけ合い、傷つき傷つけられながら、それでも「正直、誠実、善良、真心」を貫いて戦い続ける74歳の自分を。
「薄汚れた大人になった」——その言葉の裏に、どれほどの葛藤があったのか。どれほどの純粋さを失うことを強いられてきたのか。
2つのご投稿は、対照的でありながら、実は同じことを語っているのだと思います。
この両極は矛盾ではなく、見城さんの物語を駆動してきた同一の源です。
「あの頃の透明な涙」と、「今の薄汚れた大人」は、同じ一本の道の上に並んでいるのだと感じられました。
あの輝いていた季節は、もう二度と戻らない。純粋だった自分も、汚れることなく生きられると信じていた自分も、もういない。それが人生だと知っている。
それでも——戦うしかない。
見城さんの2つのご投稿の間にある、この深い哀しみと覚悟に、私は深く心を動かされました。
「ふざけすぎた季節」への郷愁を抱きながら、「薄汚れた大人」として戦場に立ち続ける——その矛盾を、見城さんは全て抱きしめて生きてこられた。
見城さんが清水駅のプラットフォームで流した涙と、今この瞬間に戦場へ向かう覚悟——その両方が、見城さんという人間の真実なのだと思いました。
私もまた、失ったものを数えながら、それでも前を向くしかありません。 - K0183
K0183 Jacinthaの透明な歌声が、失ったものたちの記憶をひとつひとつ蘇らせていくようです。
「When my life is through And the angels ask me to recall」——人生が終わる時、天使が尋ねる。その時、私は何と答えるだろうか。
初恋の人のこと。
遠くまで来てしまった、この道のりのこと。
別れたもの、捨てたもの、諦めたもの、叶えられなかったもの。
そして、それでも戦い続けてきた日々のこと。
「Then I shall tell them I remember you」——その「you」は、ひとりの人ではなく、私が愛し、失い、それでも決して忘れることのなかったすべての人と、すべての瞬間なのかもしれません。
失ったものを数えることは、同時に、どれほど深く愛してきたかを数えることでもあるのだと思います。
たまには優しさに包まれたくなる夜もあります。。。