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K0183

『栄光のバックホーム』公開まで、あと7日。 横田慎太郎選手は脳腫瘍と闘い、それでも野球に復帰しました。 私は長く、脳外科医として多くの脳腫瘍患者さんと向き合ってきました。小児専門というわけではありませんが、多くの小児・若年の脳腫瘍の患者さんの治療にも携わってきました。一人ひとりの顔が、今も深く心に刻まれています。 研修医の頃、一番奥の病室で呼吸が止まった術後の小学校低学年の子を抱きかかえ、ナースステーションのそばの処置室まで走ったことがあります。もう20年以上前のことです。小さな体は驚くほど軽かった。その後も2回、開頭手術を追加しましたが、治療の甲斐なく亡くなりました。 脳腫瘍は突然現れて、患者さんだけでなくご家族も巻き込み、全てを奪っていきます。その残酷な時間を、患者さんもご家族もどのように受け止めて過ごしていたのか、本当のところは私には想像しきれません。再発で再手術が必要だと伝えた時の患者さんとご家族の表情が、今も頭に焼き付いています。胸が張り裂け、心が壊れそうなほどに辛かった。でも患者さんとご家族は、きっと私よりもはるかに辛かったはずだ。 私は本当に彼らに寄り添えていただろうか。診察室や病室で向き合いながらも、どこか安全な場所から見ていただけになってはいなかったか。かつて「諦めてください」と言ってしまったこともあったのではないか。あのとき、別の言葉を選ぶことはできなかったのか――今でも自分に問いかけることがあります。 医師として「できること」と、人として「そばにいること」は、必ずしも同じではありません。病状を説明し、治療方針を決めることには慣れていっても、「患者さんとご家族の痛みに、自分はどう向き合えているのか」と問われると、今も言葉に詰まります。 横田選手が何度も立ち上がる姿をスクリーンで観ながら、これまで診てきた多くの患者さんやご家族の顔が次々と浮かんできました。救えた命もあれば、救えなかった命もある。その一つひとつの場面で、私にもっとできることはなかったのか――何度も自分に問い直していました。 横田選手は、諦めなかった。その姿は、「治ること」だけではなく、「どう生き切るか」を見せてくれているように思う。私が診てきた多くの患者さんも、同じように必死に生き抜こうとしていた。その力強さを、私はもっと信じるべきでした。 この映画は、私に、「本当に諦めていたのは誰だったのか」を静かに突きつけてくる。 だからこそ、一人でも多くの人に、この映画を見てほしい。病気と闘う人も、そのご家族も、そして私たち医療者も、もちろんそれ以外の人たちも。それぞれの立ち位置で何かを受け取れるはずだと信じています。 公開まで、あと7日。 諦めなくていい。 そう胸を張って伝えられる医師でありたい、と今、改めて思っています。

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K0183のトーク
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  • K0183
    K0183

    「赤坂・四川飯店」の「・」 は不要でした。申し訳ありませんでした。検証不足でした。今後、十分気をつけるように努力します。

  • K0183
    K0183

    見城さん

    昨日は、小さなことへの配慮の大切さを教えていただき、ありがとうございました。

    言葉の選び方一つ、表現一つに、もっと心を配ります。自己検証を怠らず、小さなクヨクヨから逃げません。

    いつも気遣っていただいていることに、改めて深く感謝申し上げます。

    三上雅博さんが今朝リトークされた、過去の見城さんのご投稿を拝読し、僭越ながら感想を述べさせていただきました。

    本日も何卒よろしくお願い申し上げます。
    寒さが厳しくなってまいりました。どうかお体を大切になさってください。

  • K0183
    K0183

    見城さん

    高野悦子が20歳で到達した「独りであること」、「未熟であること」という原点。見城さんは今もその原点で踊り続けておられます。この言葉はとても重い。

    「理解して欲しい」——その願いが、どれほど自分勝手なものか。それを知っているはずなのに、求めてしまいます。

    さらに孤独は、誰とも共有できません。分かち合えると思った瞬間、その「孤独」ですら何ものでもなくなります。だから本当の孤独は、永遠にひとりで抱えるしかありません。

    それなのに、理解されない痛みに耐えられず、孤独から逃げようとする。群れたくなる。誰かに分かって欲しくなる。

    この矛盾を抱えたまま生きることが、人間の本質なのだと思います。

    「相手を理解する。だから、相手も自分を理解して欲しい」——そんな弱い自分が、今朝も目覚めました。抜け出せません。

    見城さんは「未熟な自分が演じる『孤独』という悲劇の主人公」と仰います。その正直さが、胸に突き刺さります。

    自分自身を省みました。孤独を嘆きながら、本当の孤独と向き合う勇気がありません。未熟さを恥じながら、その未熟さから逃げています。

    私は——まだ、ただ立ち尽くしているだけかもしれません。

    孤独は消えません。理解されない痛みは、むしろ深くなるばかりです。未熟さは、積み重ねるほどに自覚されます。

    それでも、今日を生きるしかありません。孤独でも、理解されなくても、未熟なままでも。

    この真実を受け入れた上で、それでも「正直、誠実、善良、真心」を貫く。それが、見城さんから教えていただいた生き方です。

    私は私の舞台で、踊り続けるしかありません。

    未熟なまま、独りのまま。

  • K0183
    K0183

    『栄光のバックホーム』公開まで、あと11日。

    横田慎太郎選手は言った。
    「本当に神様が見てくれていたのかなと思います」

    あのバックホーム。
    ボールはほとんど見えなかった。それでも、あの日、奇跡が起きた。

    神様は見ている。

    誰よりも早く練習場に来て、一人で黙々と練習する姿を。
    暗闇の中でも、バットを振り続ける姿を。

    圧倒的努力を、神様は見ている。

    見城さんは昨日、仰った。
    「大丈夫、日本中に広がります。 作品が素晴らしいからです」
    「映画[栄光のバックホーム]。不安と恐怖を振り切るために、これ以上出来ないくらい圧倒的努力をしました。これからも、します。だから、勝ちます。圧倒的に勝ちます」

    至誠天に通ず。
    誠実な努力は、天に届く。

    至誠、栄光に通ず。
    誠実な努力は、必ず光をもたらす。

    755のみんなは、それぞれの立ち位置で、それぞれの想いで『栄光のバックホーム』を見つめている。
    見つめる先は同じ。
    みんなの鼓動が高鳴っていくのを感じる。
    その感覚が心を温かくしてくれる。

    11月28日、みんなの想いが重なる。

    日本中が、感動で灼き尽くされる。

    今日も、誠実に。全力で。

    神様は、見ている。

  • K0183
    K0183

    『栄光のバックホーム』公開まで、あと10日。

    2023年9月14日。
    阪神が18年ぶりのリーグ優勝を決めたあの日。

    甲子園球場を埋めた4万人の観客の想いが、重なり、一つになった。

    岩崎優投手が登場曲を「栄光の架橋」に変えた瞬間、
    横田慎太郎選手を想い、甲子園全体が歌い始めた。

    一人ひとりの想いが重なり、一つの祈りになった。

    横田選手は、一人で闘ったのではなかった。
    たくさんの想いに支えられて、闘い続けた。

    今、見城さんを支えるのは、私たちの番だ。

    755のみんなも、それぞれの立ち位置で、それぞれの想いで『栄光のバックホーム』を見つめている。
    見つめる先は同じなはず。

    あの日、甲子園で4万人の想いが重なり、一つになったように、
    11月28日、755のみんなの想いも、重なり、一つになる。

    その瞬間を、分かち合いたい。

    みんなの想いは何か。

    見城さんに、「栄光のバックホーム」を決めさせたい。

    だろ?

    11月28日まで、あと10日。

    みんなの想いは、必ず天に届く。

  • K0183
    K0183

    『栄光のバックホーム』公開まで、あと9日。

    今、私の胸には、横田慎太郎選手が戦い抜いた「1096日」への想いが溢れています。

    9月23日、秋分の日。
    私は755を始めました。もうすぐ2ヶ月。季節は巡り、秋の風はいつしか冬の冷たさを帯びてきました。

    2ヶ月前の私は、人生に行き詰まっていました。本当に辛かった。暗闇の中で、もう一歩も動けないほどに疲弊し、心は死にかかっていました。

    惰性で過ごしてきた日常。自分と向き合うことから、逃げ続けてきた日々。周囲に振り回されて、何か多くの大切なことを置き去りにしてきた、そんな嫌な人生を送ってきた気がしていました。

    暗闇の中で、一人立ち尽くしていました。

    秋分の日から、毎日ここで言葉を紡いできました。
    毎日、拙い言葉を紡ぎ、自分自身の弱さと向き合うことで、惰性で流れていきそうだった日常に、小さな「覚悟」の時間が生まれた気がしています。

    見城さんに向き合っていただき、755のみんなと想いを交わし、横田選手の生き様に出会い、この映画が伝えようとしているメッセージに出会った。

    暗闇の中で、光が見えた。

    想いを綴ることで、自分と向き合い、「正直、誠実、善良、真心を尽くして生きること」を学び、少しずつ、歩む方向が変わっていった。「どんなに苦しくても、自分の足で前に進むこと」の大切さを、教えてもらいました。うまくいかない日も、情けなくて仕方がない日も、それでも毎日ここに言葉を置くことで、「今日だけは投げ出さない」と自分と約束できた気がしています。

    私のこの2ヶ月は、横田選手の過酷な日々に比べれば、瞬きのような時間かもしれません。それでも、ここで皆さまと共に過ごした毎日は、私なりの「努力の結晶」だと信じたい。辛くても、憂鬱でも、逃げずに自分と向き合った日々。その積み重ねだけが、今の私を支えています。

    この映画は「今を生きる全ての横田慎太郎」に捧げられています。

    あの日から今日まで、私も戦い続けてきた。
    支えられながら、立ち上がり続けてきた。私も「今を生きる横田慎太郎」の一人でした。

    755で毎日言葉を紡いできたこの2ヶ月は、私にとっての小さな「バックホーム」だったのかもしれません。ボールは何度もこぼしたし、暴投もたくさんしたけれど、それでも諦めずに投げ続けてこられたのは、見城さんと、ここでつながってくれたみんなのおかげです。

    この2ヶ月で教わったことを胸に、『栄光のバックホーム』をしっかり受け止めたいと思っています。そして、横田選手のあのバックホームのように、いつか自分も誰かの心に届くボールを投げられたら――そんな願いを込めて、これからもここで言葉を投げ続けます。

    誠実に圧倒的努力をした誰かの一投が「奇跡」や「栄光」と呼ばれるように、私も自分の場所で、命がけでボールを追いかけていきます。

    公開まで、あと9日。

    見城さん、755のみんな。

    本当に、本当に、ありがとうございます。

    『栄光のバックホーム』を皆さまと一緒に見届けていきたいです。

  • K0183
    K0183

    脳腫瘍から、もう一度プロ野球のグラウンドへ。
    脳外科医として「医学的にはあり得ない」と思った奇跡の物語です。

    『栄光のバックホーム』公開まで、あと8日。

    脳外科医として四半世紀、私は数え切れないほどの脳腫瘍の患者さんと向き合ってきました。

    診察室で「脳腫瘍です」と告げる時、医師である私の心も重く沈みます。脳は、人間の全てを司る臓器です。記憶、感情、思考、そして身体のあらゆる動き。その中枢に腫瘍ができるということは、単なる病気ではない——その人の存在そのものが脅かされるということなのです。

    手術室で脳に触れる時、私はいつも畏敬の念を抱きます。わずか1400グラムほどの、この柔らかな組織の中に、その人の人生のすべてが詰まっている。記憶、夢、愛する人の顔、培ってきた技術。そのすべてが、ミリ単位の精密さで配置された神経回路の中に存在している。

    だからこそ、脳腫瘍の手術は、命を救うだけでは終わらない。「その人らしさ」を守りながら、病巣を取り除く。それは、技術の限界に挑む戦いです。

    横田慎太郎選手が脳腫瘍と診断された時、彼はプロ野球選手でした。

    脳外科医として、私にはその絶望の深さが痛いほど分かります。プロ野球選手に必要な能力——時速150キロの球を見極める動体視力、コンマ数秒での判断力、三次元空間での位置認識、そして繊細な運動制御。これらすべては、脳の高度な機能が統合された結果です。プロのアスリートの動きは、脳の各部位が完璧に連携して初めて可能になります。

    脳腫瘍の手術は、たとえ成功しても、こうした繊細な機能に影響を与えるリスクが常につきまとう。医学的には避けられないリスクです。

    もし私が主治医だったら、おそらくこう言わざるを得なかったでしょう。
    「命を守ることが最優先です。野球は、諦めてください」

    それが、医学的な「現実」だから。医師として、私は確率を示し、リスクを説明し、患者さんを守るために最善を尽くす。でも同時に、夢を断つ言葉を告げなければならない時があります。

    この四半世紀、私は何人もの患者さんに、そうした言葉を告げてきました。音楽家に「ピアノは難しいかもしれません」と。外科医に「手術は無理でしょう」と。そして、アスリートに「競技は諦めてください」と。

    それは、医師としての責任です。希望だけを語って、患者さんを危険にさらすわけにはいかない。

    でも——
    『栄光のバックホーム』が描くのは、その「医学的現実」を超えた物語です。

    手術、リハビリ、そして想像を絶する努力の日々。遠回りの道を、一歩ずつ這い上がり、横田選手は再びプロの舞台へと戻っていく。

    脳外科医の視点から見れば、これは「奇跡」としか言いようがない。
    医学書には載っていない奇跡。確率論では説明できない奇跡。でも、確かに起きた奇跡。

    それは、横田選手の「諦めない心」が生んだ奇跡です。そして、彼を支えた家族、チームメイト、ファンたちの愛が支えた奇跡です。

    四半世紀の臨床経験が、私に教えてくれました。

    医学は、限界を示すことができる。統計を示し、リスクを説明し、「現実」を告げることができる。

    しかし、医師として告げる「諦めなさい」という言葉は、医学的な限界を示しているに過ぎない。

    人間としての可能性の限界ではないのだ、
    その限界を超えるのは、患者さん自身の「諦めない」意志なのだと——

    そこを超えようとする意志を、私たち医療者は否定してはいけない。その意志に寄り添い、支え、最大限のサポートをする——それが、本当の医療なのだと。

    横田選手の物語は、私たち医療者にとっても、希望の物語です。

    そして、人生で一度でも「諦めなさい」と言われたことがあるすべての人に、この映画を届けたい。

    公開まで、あと8日。

    脳外科医として、そして一人の人間として——心からお勧めします。

  • K0183
    K0183

    見城さん、いつも温かいお心遣いをいただき、心から感謝申し上げています。『栄光のバックホーム』公開まで、いよいよあと1週間になりました。これから、見城さんはきっと、誰よりもさらに激しく動いていかれることと思います。ですが、いつも、見城さんのお体のことを心配しています。何事もなく、無事に過ごされていることを、毎日祈っております。寒さも厳しくなってまいりましたので、体調を崩されませんよう、どうかお体を大切になさってください。本日もよろしくお願い申し上げます。

  • K0183
    K0183

    『栄光のバックホーム』公開まで、あと7日。

    横田慎太郎選手は脳腫瘍と闘い、それでも野球に復帰しました。

    私は長く、脳外科医として多くの脳腫瘍患者さんと向き合ってきました。小児専門というわけではありませんが、多くの小児・若年の脳腫瘍の患者さんの治療にも携わってきました。一人ひとりの顔が、今も深く心に刻まれています。

    研修医の頃、一番奥の病室で呼吸が止まった術後の小学校低学年の子を抱きかかえ、ナースステーションのそばの処置室まで走ったことがあります。もう20年以上前のことです。小さな体は驚くほど軽かった。その後も2回、開頭手術を追加しましたが、治療の甲斐なく亡くなりました。

    脳腫瘍は突然現れて、患者さんだけでなくご家族も巻き込み、全てを奪っていきます。その残酷な時間を、患者さんもご家族もどのように受け止めて過ごしていたのか、本当のところは私には想像しきれません。再発で再手術が必要だと伝えた時の患者さんとご家族の表情が、今も頭に焼き付いています。胸が張り裂け、心が壊れそうなほどに辛かった。でも患者さんとご家族は、きっと私よりもはるかに辛かったはずだ。

    私は本当に彼らに寄り添えていただろうか。診察室や病室で向き合いながらも、どこか安全な場所から見ていただけになってはいなかったか。かつて「諦めてください」と言ってしまったこともあったのではないか。あのとき、別の言葉を選ぶことはできなかったのか――今でも自分に問いかけることがあります。

    医師として「できること」と、人として「そばにいること」は、必ずしも同じではありません。病状を説明し、治療方針を決めることには慣れていっても、「患者さんとご家族の痛みに、自分はどう向き合えているのか」と問われると、今も言葉に詰まります。

    横田選手が何度も立ち上がる姿をスクリーンで観ながら、これまで診てきた多くの患者さんやご家族の顔が次々と浮かんできました。救えた命もあれば、救えなかった命もある。その一つひとつの場面で、私にもっとできることはなかったのか――何度も自分に問い直していました。

    横田選手は、諦めなかった。その姿は、「治ること」だけではなく、「どう生き切るか」を見せてくれているように思う。私が診てきた多くの患者さんも、同じように必死に生き抜こうとしていた。その力強さを、私はもっと信じるべきでした。

    この映画は、私に、「本当に諦めていたのは誰だったのか」を静かに突きつけてくる。

    だからこそ、一人でも多くの人に、この映画を見てほしい。病気と闘う人も、そのご家族も、そして私たち医療者も、もちろんそれ以外の人たちも。それぞれの立ち位置で何かを受け取れるはずだと信じています。

    公開まで、あと7日。

    諦めなくていい。
    そう胸を張って伝えられる医師でありたい、と今、改めて思っています。

  • K0183
    K0183

    『栄光のバックホーム』公開まで、あと6日。

    「父の愛に支えられて、私は立ち続けている」

    横田慎太郎選手が脳腫瘍と闘った日々を、
    母・まなみさんは、いつもそばで見守り続けました。

    視界が二重に見える息子が、それでも練習場に向かう姿。
    何度倒れても、諦めずに立ち上がり続ける姿。

    母の愛が、横田選手を支え続けた。

    私にも、決して忘れられない記憶があります。

    私の最も古い記憶は、祖母の死です。くも膜下出血で倒れました。離島という環境では、公平な医療を受けられない。自衛隊のヘリが来てくれることが常でしたが、その日は台風だった。十分な治療を受けられず、祖母は再出血で亡くなりました。

    葬式で、祖母のそばに座っていました。
    周囲はみんな泣いていたのに、父だけは泣かずに、じっと祖母のそばに座り続けていた。その強い姿を、私は今もはっきり覚えている。

    その直後、弟が事故で死にかけました。

    父が看護師に縋りついて、泣いていました。
    「自分の命はいらないから、この子の命を助けてくれ」と。

    幼かった私の心に、その光景が焼き付きました。
    父の涙。父の叫び。父の愛。

    その時、幼い私が感じたのは、言葉にならない思いでした。

    助けたい。
    守りたい。
    救いたい。

    それは明確な言葉ではなく、ただ胸の奥で燃える、熱い思いでした。

    その思いが、時間とともに、少しずつ言葉になっていきました。
    「どんなに頭の血管が破裂しようと、どんなに脳が傷つこうが、助けてあげられる医者になりたい」

    そして、言葉は「誓い」になった。

    この記憶が、私の全てです。
    私は、この記憶だけで、50年以上生きてきました。

    だから、医者になりたかったわけではありません。
    どうしても、脳外科医になりたかった。

    祖母を救えなかった悔しさ。
    弟を救ってくれた医療への感謝。
    そして何より、父の愛の深さ。

    父の愛に支えられて、今も私は立ち続けています。

    脳外科医として四半世紀。
    いつもあの日の父の姿が浮かびます。
    「自分の命はいらないから、この子の命を助けてくれ」
    ——その叫びを、今は私が受け止める立場にいる。

    横田選手は、母・まなみさんの愛に支えられて戦った。
    私は、父の愛に支えられて、今日も手術室に立つ。

    愛は、人を立ち上がらせる。
    愛は、人に力を与える。
    愛は、不可能を可能にする。

    『栄光のバックホーム』は、横田選手と母・まなみさんの物語であり、
    同時に、愛に支えられて立ち上がるすべての人の物語です。

    公開まで、あと6日。

    この映画を観る時、きっと思い出すはずです。
    あなたを支えてくれた、誰かの愛を。
    あなたが今ここに立っているのは、その愛があったからだということを。

    そして、気付いて欲しい。
    あなた自身も誰かの「愛」になれるということを。

    父の愛に支えられて。
    今日も、私は戦う。

    誠実に、全力で。