K0183のトーク
トーク情報- K0183
K0183 『栄光のバックホーム』公開まで、あと5日。
「母の背中」
3年前、11年ぶりに実家に帰った。
仕事が忙しいと言い訳して、長い間、両親をほったらかしにしていた。
久しぶりに会った母に、私は驚いた。あんなに元気だった母が、随分と小さくなっていた。
「がんばってね」といつも励ましてくれた母。料理は食べきれないほど作ってくれた。熱を出せば夜通し看病してくれた。高校生の頃、登下校でいつも道を歩きながら英単語を暗記している私を見て、「とても誇らしかった」とだいぶ後になって語ってくれた母。見ていてくれた。参観日には、自慢の美人な母だった。
私が忘れていることも、母はよく覚えている。「自慢の息子」「一番大好き」と、今も変わらず言ってくれる。
母からもらった愛は、計り知れない。無償の愛とは、こういうものかと思う。怒られた記憶もほとんどない。大事な時、いつも全力で支えてくれた。
私は母に何をしてあげられただろうか。
母はもう、長い距離を歩けなくなった。車椅子をレンタルして、母と公園に出かけた。
子供の頃、何度も連れて行ってもらった公園。母の背中を見上げながら、いつも「もっと遊ぼう」とせがんだ。ああ、懐かしい。
今度は、私が母を連れている。
車椅子を押しながら、母の背中を見下ろした。本当に小さくなったな、と思った。
母は私に、すべてを与えてくれた。愛情も、励ましも、誇りも。
私は母に、何を返せているだろうか。
母は言った。「連れてきてくれて、ありがとう」と。
涙が溢れそうになるのを、必死で抑えた。
ありがとうと言うべきは、私の方なのに。母の深い愛情に胸がいっぱいになった。それと同時に、母からもらってばかりで、何もしてあげられてない罪悪感で胸が張り裂けそうになった。
「もう帰ろう」、そう言って車椅子を押しながら、母の背中を見つめる私の目から涙がこぼれ落ち続けていた。
医師として長く、多くの患者さんとご家族を診てきた。脳腫瘍という病と闘う方々。支える家族たち。そこにあるのは、常に「支え合っている姿」だった。病む者と看る者。強さと優しさ。諦めない心と、寄り添う心。特に母親の存在は、患者さんにとって何にも代えがたい力になる。無償の愛。無条件の信頼。それが、どれほど人を支えるか。
『栄光のバックホーム』は、横田慎太郎選手が脳腫瘍から復帰し、再びグラウンドに立つだけの物語ではない。脳腫瘍という絶望から立ち上がるそばには、必ず一緒に歩いてくれる「家族の愛」という支えがあった。常に母の愛があった。どんな時も信じてくれる存在。それが母だ。励まし、支え、見守る母。「頑張って」と言い続ける母。母の愛は純粋だ。見返りなど求めない。
息子の病を知った時の母の表情。病室で励ます母の言葉。「必ず戻れる」と信じ続ける母の眼差し。リハビリに付き添う母の背中。そして、再びグラウンドに立つ息子を見守る母の姿。
人は一人では生きられない。支えられて、支えて、また支えられて、人生という長い道を歩いていく。横田選手は残念ながら28歳という短い生涯を閉じた。しかし、彼が遺した『栄光のバックホーム』が、今度は残されたご家族の支えになっているはずだ。
『栄光のバックホーム』は、その真実を描いている。横田選手が復帰できたのは、本人の努力だけではない。母の愛があったからだ。だからこの映画は、横田選手の奇跡の物語であると同時に、母と息子の深い絆の物語なのだ。
映画を観終わった後、私は母のことを考えずにはいられなかった。
公開まで、あと5日。
観終わった後、あなたは必ず自分の母のことを思い出すだろう。そして、気づくはずだ。自分がどれほど愛されてきたかを。
小さくなった母の背中。でも、その背中から、今でも深い愛を感じる。
お母さん、ありがとう。今日はこのあと電話でもしよう。 - K0183
K0183 見城さん。大変お忙しい中、いつも気遣っていただけることに心から感謝申し上げております。見城さんのように強く、優しく生きていく。まず今日一日、その思いを胸に努力いたします。
755の皆さまもいつも本当にありがとうございます。皆さまが私の支えです。
業務上の緊急事態が発生しました。本当は今日、初めて幻冬舎に伺い、日本で最も勢いのある出版社の空気を感じて目に焼き付け、その後、予約が取れるなら『ひとりしゃぶしゃぶ 厨 七代目松五郎』—見城さんを語り合う皆さまの"聖地"—をついに訪問する計画でした。
ああ、とてもいい天気だ。諦め切れないけど、諦めなければならない。悔いなしの心境になり切れない自分の未熟さを、改めて感じています。
では、行ってまいります。今日もよろしくお願い申し上げます。 - K0183
K0183 『栄光のバックホーム』公開まで、あと4日。
「支えられて、生きている」
脳外科医として長く働く中で、私は数え切れないほど多くの患者さんとご家族に出会ってきました。
ベッドサイドの椅子に、一日中座り続ける父親。
廊下のベンチで、一晩中決して家に帰ろうとしない母親。
手術室の前で、何時間もじっと手を握り合い、祈るような表情で待ち続ける家族。
術後の面会で、麻酔から覚めきらない患者さんの手を握りしめ、声を殺して泣く妻。
脳腫瘍と告げられた瞬間から、闘うのは患者さん一人ではありません。
その日から、ご家族もまた同じ重さの現実を背負い、共に戦うことを強いられます。
再発を伝えたときも、先に泣き崩れるのは、ご本人ではなくご家族であることも少なくありません。
その横で、患者さんはむしろ冷静な顔でこちらを見つめ、泣きじゃくる家族を安心させようと、懸命に強く振る舞おうとする――何度もそんな光景を見てきました。
医学は、病気を治すためにあります。
しかし、どれほど手術の技術が進歩しても、どれほど薬が良くなっても、人の心のすべてを支えることはできません。
最後の一線で患者さんを支えているのは、やはり「家族の愛」だと痛感します。
人は、一人では生きられない。
どれほど強そうに見える人でも、誰かに支えられて、ようやく立ち上がることができるのだと思います。
ずっと私は一生懸命、必死に働いてきました。
3年前、11年ぶりに実家へ帰省しました。
空も海も、昔と何も変わらない。
驚いたことに、11年も帰っていなかったのに、私の部屋はあの頃のままでした。
あっという間に帰る日が来て、両親が空港まで車で送ってくれました。
仕事が忙しいと言い訳して、長い間、両親をほったらかしにしていた。
私は両親に何をしてあげられただろうか。
私は両親に、何を返せているだろうか。
なのに、もうまた遠く離れて、帰らないといけない。
そう思うと胸が締めつけられ、空港へ向かう車中で、もう涙が止まらなかった。どうしても止められなかった。
車から降りたら、せめて「お父さんもお母さんも体を大切にして、元気でいてください」とだけは言おうと思っていたけど、涙が溢れて言葉にならなかった。両親はただ微笑んで私を見つめてくれていた。
「では行って参ります」どうにか声を絞り出して、言えていたと思う。
きっと泣き虫なままだと思われていたかもしれない。
遠く離れて暮らしていても、私はずっとこの両親の存在に支えられてきた。
患者さんを救えずに打ちのめされた日も、もう立ち上がれないと思った夜も、父と母ならなんと言ってくれるだろうと、なんとか踏みとどまり、また立ち上がれた。
私もまた、家族に支えられて生きている一人なのだと、この映画を観て改めて実感しました。
過去を振り返れば、そこには確かにいつも、私を支えてくれた人たちの姿があります。
厳しくも温かい師匠、共に戦ってくれた仲間たち、そして遠くから黙って見守ってくれていた人たち。
そして、今もまた支えられている。
横田慎太郎選手もまた、病と闘うその背中を、家族や仲間に支えられながら前に進んだ一人だ。
公開まで、あと4日。
この映画は、単なる選手一人の復活の物語ではない。彼を支え、共に戦い、共に泣き、共に喜び、そして見送ったご家族の物語でもある。
また、この映画を観に行きたい。
今を生きる全ての横田慎太郎たち――
病と闘う人、そのご家族、そして自分自身を含めて――
みんな、誰かに支えられて生きている。
この映画を通して、もう一度強く、その思いを抱きしめたい。
そして、伝えたい。
「支えてくれて、ありがとう」 - K0183
K0183 『栄光のバックホーム』公開まで、あと3日。
「教えていただいたこと」
以前から、書籍や755を通して見城さんの言葉に触れてきました。その一つひとつの言葉の重さ、生き方の真摯さに、私は憧れ、心を揺さぶられてきました。
74歳になられた今もなお、何一つぶらさずに貫き通している生き方に触れるたび、常人では窺い知ることのできない、尋常ではない覚悟を感じます。見城さんの言葉は、私の胸に深く刻まれました。
2ヶ月前の私は、暗闇の中にいました。行き詰まり、疲弊し、自分と向き合うことから逃げ続けていた。私は755で言葉を綴り始めました。惰性で流れていた日常から、少しでも抜け出したかった。少しでも見城さんの言葉から学び、自分の何かを変えたいと思ったからです。
まさか、こんな名前も名乗らない私に、見城さんが真正面から向き合ってくださるなんて、夢にも思っていませんでした。
まず教えていただいたのは、「正直、誠実、善良、真心を尽くして生きる」ということ。
心を打たれました。私の心は弱いから、毎日性根に刻み込まなければ、すぐに弱い自分が顔を出してしまう。それでも、日々の生活の中で「少しでもそうあろう」と思えるようになりました。
また、私の浅はかさ、言葉の軽さ、配慮のなさを、真正面から諭してくださいました。その厳しさの中にあった深い優しさに触れた時、私は初めて、自分の未熟さを骨の髄まで痛感しました。
他にも書ききれないほど多くのことを教えていただきました。その一つひとつが、暗闇の中で私を導いてくれる灯でした。
自分と向き合うことは今も怖いけれど、それでも毎日、向き合う時間を作れるようになった。
惰性で流れていく日常の中に、小さくても「覚悟」の時間が生まれるようになった。
そして、横田慎太郎選手の物語に出会い、映画『栄光のバックホーム』を通じて、私はこれまでの自分の人生を改めて見つめ直すことができました。
言葉の力、言葉を大切にすること。誠実、正直に向き合うことの大切さ。小さな一歩でも、毎日積み重ねることの意味。そして、暗闇の中でも光を信じて進むこと——
見城さん。
この2ヶ月間、私は755で本当に多くのことを学ばせていただいています。もちろん、まだまだ学ばなければならないこと、未熟な部分は山ほどあります。それでも、「確かに私の人生は変わった」と胸を張って言えます。
報われないように見える日々も、「それでいいんだよ」と、いつも肩を押してもらっている気がしています。
何者でもない私の言葉に耳を傾けてくださったこと、感謝しきれません。本当にありがとうございます。
また、ここで出会えた方々にも、どれだけ支えられたかわかりません。画面越しではあっても、人の真心の温かさを、何度も噛みしめました。
いよいよ公開まで、あと3日。
この映画を、一人でも多くの人に届けたい。横田選手の物語を、一人でも多くの人に知ってほしい。
『栄光のバックホーム』。
命を懸けて放たれた一球。
これは、横田選手が私たちに投げてくれたエールなのだと思います。
うまくいかない日も、報われない夜も、それでもバットを握り続ける人へ。
たった一回の自分の人生を、どこまで燃やし切れるのか——
「今を生きる全ての横田慎太郎」に、問いかけられている気がします。
多くの人の心に、この映画が届きますように。 - K0183
K0183 『栄光のバックホーム』公開まで、あと2日。
「未来へ」
横田慎太郎選手が放った「栄光のバックホーム」。それは、脳腫瘍と闘いながら、決して諦めることなく、家族や仲間の支えを受けて投げた命懸けの一球でした。
見城さんが製作総指揮を務められたこの映画によって、私の心は完全に灼き尽くされて、新たな再生を迎えました。
この映画と出会い、見城さんの生き様を以前より近くで感じて、私は改めて問い直されました。どう生きるべきかを。
そして今、横田選手はこの映画を通じて、自らの「栄光のバックホーム」を私たちに放っています。人生の困難に立ち向かう「全ての横田慎太郎」に「どう生きるべきか」を問いかけています。
病と闘う人。大切な人を支える家族。夢を諦めかけている人。人生に立ち止まっている人。私たちは皆、それぞれの人生で「一人の横田慎太郎」です。
そして、支えられて放った横田選手の「栄光のバックホーム」は、今度は「全ての横田慎太郎」を支えようとしている。
いつか、その想いを受け取り、支えられた者が「栄光のバックホーム」を放つ者になる。未来で与える側に回る。支える側に立っていく。
誠実に積み重ねた努力が、栄光として連鎖していく。
感動で灼き尽くされて再生した者だけが持つ、圧倒的な優しさと強さ。それは次の誰かを支え、その誰かがまた次の誰かを支えていく。
希望は受け継がれる。勇気は巡っていく。再生は未来を創る。
いよいよ公開まで、あと2日。
この映画を観ることは、ただ物語を知ることではありません。あなたもきっと栄光の連鎖を紡ぐ者になれます。
受け取って、いつか誰かに贈る。
それが、横田選手が私たちに託した「栄光のバックホーム」だと思います。
今を生きる全ての横田慎太郎に捧ぐーー
『栄光のバックホーム』がずっと未来へとつながりますように。 - K0183
K0183 『栄光のバックホーム』公開まで、あと1日。
明日、いよいよスクリーンで息をし始めます。
そして、この映画は、幻冬舎フィルムの第一作です。見城さんが、新しく「映画」という戦場に出ていくとき、最初の一本として選んだのが、この『栄光のバックホーム』です。これには大きな意味があると思います。
幻冬舎フィルムの第一作が『栄光のバックホーム』であることに、私は静かな必然を感じています。
この2週間、毎日、この映画のことを考え、言葉を紡いできました。
書き続けてきた理由は、「伝えたい」、そして「自分を見つめ直したい」という衝動でした。
私がこの映画から受け取ったものは、感動や希望という言葉では括れない何かでした。
横田慎太郎選手の物語は、諦めないことの美しさを描いている。けれどそれは、根性論でも精神論でもない。
人間が、どんな状況にあっても、自分であろうとすることの尊厳だと思います。
この2週間、自分の過去から現在までを振り返り、見つめ直しました。
私は自分がどれだけ多くのものを置き去りにしてきたかを知りました。
この映画は、そんな私に
「人生には、何度でもバックホームがあるのだ」と
静かに語りかけてくれている気がする。
たどり着くまで、歩き続けていいのだと。
本当の栄光は、「バックホーム」の一球に向かって積み重ねた日々と、
投げ終えたあとも続いていく時間の中にある──
この映画は、そう教えてくれます。
そして、『栄光のバックホーム』の2度目を観るときに、どう感じるのか、とても楽しみです。
今の自分が、何を受け取るのか。
見城さん、この映画に出会わせてくれてありがとうございました。
何度もボールをこぼしたり、暴投したりしながらも、
それでも諦めずにボールを投げ続けてこられたのは、見城さんのおかげです。
その全てを胸に、私は『栄光のバックホーム』を劇場で受け止めます。
そして、どうかこの映画が、今を生きる全ての横田慎太郎たちの心に、深く届きますように。
いよいよ明日、公開。 - K0183
K0183 755の皆さま、いつもありがとうございます。
ここ最近、連日で緊急の仕事が立て込んでいます。
昨日も、もともとの予定の仕事が2件あり、そこそこ忙しかったのですが、さらに緊急の対応が2件入ってしまい、帰宅できたのは午前3時ごろでした。
今日は少し落ち着いてはいたものの、昨日の後始末に追われていて、眠気で頭がなかなか回らないまま、先ほど帰宅したところです。
ようやく一息ついて、皆さまの投稿を拝読しています。
いつも本当に楽しみにしています。
疲れはありますが、皆さんの投稿を見ることが心の栄養になっています。
心にじんわりと沁みわたり、精神的な疲れなんてすぐに吹き飛んでしまいます。
そして、いつも私の投稿も読んでくださり、本当にありがとうございます。とても大きな心の支えになっています。
見城さんへの想い、『栄光のバックホーム』への想いが、日を追うごとに高まっているのを、肌でひしひしと感じています。
それぞれの立ち位置から、それぞれの想いで『栄光のバックホーム』を見つめていることが、皆さんの言葉から伝わってきます。
みんなの想いが重なり合って、すごく温かい。この温度感こそが755なのだと、人生で初めての感覚に、どのような言葉で表現してよいのか見つからないほどです。
この想いを、これからも大切に抱きしめていきたいと思っています。
明日金曜日の公開日は、少し大きな仕事が入っており、映画館に足を運ぶのは、レイトショーでも難しそうです。
残念ではありますが、土曜日に観に行く予定にしています。
明日の夜、『栄光のバックホーム』を観た皆さんが、どのような思いを投稿されるのか、今から本当に楽しみでなりません。
明日に備えて、今日は早めに休むつもりです。
夜中にまた緊急で呼ばれないといいのですが…。
いよいよ、明日公開。
ああ、本当に明日が待ち遠しい。サンタクロースを待つ子どものような心境です。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
寒さが厳しくなってきましたので、風邪などこじらせませんよう、どうかお身体を大切になさってください。 - K0183
K0183 見城さん、755の皆さま、おはようございます。
ついにこの日が来ました。みんなの想いが重なり、一つになる日です。
胸の鼓動が高鳴っています。
「神様は見ている」と、心の中で何度も繰り返しています。
見城さんはおっしゃいました。
「大丈夫、日本中に広がります。作品が素晴らしいからです」
「映画[栄光のバックホーム]。不安と恐怖を振り切るために、これ以上出来ないくらい圧倒的努力をしました。これからも、します。だから、勝ちます。圧倒的に勝ちます」
きっと、圧倒的に鮮やかな結果が出る。
きっと、圧倒的に鮮やかに勝つ。
「至誠天に通ず」――誠実な努力は、必ず天に届く。
「至誠、栄光に通ず」――誠実な努力は、必ず光をもたらす。
日本中が、感動で灼き尽くされる――その光景が、はっきりと目に浮かびます。
神様は、見ている。
本日もよろしくお願い申し上げます。