K0183のトーク
トーク情報- K0183
K0183 見城さん
昨日、自分の不甲斐なさを吐露した投稿をした直後に、今朝のご投稿を拝読し、心臓が高鳴りました。今の自分の心にあまりにも響き、何度も読み返しました。
スコット・ジュレクの言葉——
「答えは一つしかない。立ち上がって走ることだ」
「もう限界だと思えるところまで自分を追い込んで、さらにその限界を押し上げてみせた」
この一節が、胸に突き刺さりました。
自分の「それなりの結果」と「それなりの努力」に打ちのめされ、
高く目標を掲げたつもりでいながら、どこかで現状に甘んじていた自分を思い知らされました。
そして、見城さんが仰る
「高く目標を設定した人は、毎日が憂鬱だ。憂鬱であるということは正しいということだ」
この一文に触れ、このどうしようもない憂鬱も、まだ上を見ている証なのだと、少しだけ救われた気がしました。
見城さんは「毎日3つは憂鬱がないと不安になる」と仰いました。
私はまだその境地には到底届いていません。むしろ、憂鬱に押し潰されそうになる日の方が多いです。
それでも「憂鬱であることが正しいのだ」と教えていただきました。
高い目標を設定したからこその憂鬱。それを抱きしめて進むしかないのだと。
今朝の言葉を読みながら、はっとしました。
見城さんも74歳で、「老いた身体で、自分で設定した高い壁をこれからも乗り越えることが出来るだろうか?」と自問しておられる。
誰もが不安と戦いながら、それでも「さあ、もう一度、オーバー・ザ・トップ!」と立ち上がり続けているのだと。
私は、まだ現場に立てる。まだ戦える。
「それなりの実績」で終わりたくありません。
来年こそ、「突き抜けた」と胸を張って言える自分になりたい。
そのためには、今この瞬間から「圧倒的努力」を貫くしかないと覚悟しています。
私の努力は、まだ全然足りません。
見城さんが示してくださった「鮮やかな勝ち方」——あの高みに到達するには、今の何倍もの努力が必要なのだと痛感しています。
12月が始まりました。
この12月は、さらに自分と向き合いながら過ごします。憂鬱を抱えながら、それでも前に進みます。
「肺が酸素を渇望しても、筋肉が悲鳴を上げていても、答えはそこじゃないと分かっていた。それは精神の問題だ」
その言葉を、自分の現場で何度も反芻しながら走ります。
この胸の痛みは、私がまだ諦めていない証拠だ。もっと上に行こう。
「あいつなんか勝てるわけがない」と見下してきた者たちに、
そして何より、自分自身が設定した限界に、圧倒的に勝つために。
「圧倒的に鮮やかな結果」は、この苦痛の先にしかないのだと信じて。
私もその景色を見たい。
いえ、必ず見ます。
さあ、もう一度、オーバー・ザ・トップ。
憂鬱であればあるほど、私は正しい道にいる——そう信じて、今日も走り続けます。
背中を押してくださる言葉を、いつも本当にありがとうございます。
深い敬意と感謝を込めて。 - K0183
K0183 『栄光のバックホーム』を観て、深く心に刻まれた言葉の一つ。
再手術の際に言葉を失うリスクを伝えられた時、母・まなみさんがいった言葉。
横田選手が言葉を失ったら「慎太郎の口になる」と。
自分の命でさえも、きっと迷わずに差し出すだろう。
この場面を観た時、昔を思い出しました。
手術前に、あるお母さんがこう言いました。
「言葉を失ったらわたしが口になります。字が書けなくなったらわたしが右手になります。歩けなくなったらわたしが足になります。命だけあればいいです」
そう言って、静かに頭を下げたお母さんがいました。
あの時、私は医者としてではなく、一人の人間として、何か大きなものを突きつけられた気がしました。それが具体的に何なのかは当時は分かりませんでした。
脳外科医として長く、数え切れないほど多くの手術前に、ご家族と向き合ってきました。しかし、この言葉は、今も特に鮮明に心に残っています。
母の愛とは、こういうものかと思いました。
自分のすべてを差し出す覚悟。
子供が生きていてくれさえすれば、自分がその口に、右手に、足になる――
その献身の深さに、言葉を失いました。
『栄光のバックホーム』で描かれる母・まなみさんの姿に、あのお母さんの面影が重なります。
「慎太郎の口になる」
病と闘う息子のそばで、母・まなみさんはいつも祈り続けました。願い続けました。
どんな困難があっても、どんな決断でも、全力で支え続けました。
「慎太郎が決めなさい」と。
母の愛は、条件がありません。見返りを求めません。
ただ、子供が生きていてくれること――それだけを願い続けます。
最後の最後で患者さんを支えるのは、やはり家族の愛なのだと痛感します。
特に母親の存在は、どんな医療技術よりも強い力を持っているのだと思います。
あのお母さんの言葉を、私は一生忘れない。
そして『栄光のバックホーム』を観るたび、横田選手を支え続けた母・まなみさんの姿に、深い敬意を覚えます。
今、振り返ると、私はずっと「自分が何者かになりたい」ともがきながら生きてきました。
でも本当に大切なのは、
「自分が何者か」よりも「誰かのために何になれるか」
なのかもしれません。あの時に突きつけられたものは、もしかしたらそれだったのかもしれません。
私はどこまでその覚悟を持てているだろうかと、自分に問い続けていかないといけないのかもしれません。
それを忘れた瞬間に、私はまたただの独善に堕ちてしまうのかもしれません。
だから今日も、
「正直、誠実、善良、真心」を忘れずに、
目の前の誰かの「何か」になれるように、
静かに、自分の全力を尽くしたいと思います。
たった一回の自分の人生。
たった一人の誰かの人生。
その交差点で、
少しでも届く「言葉」を、少しでも誠実な「決断」を、
選び取っていける人間でありたい。
そんなことを、「慎太郎の口になる」という言葉に触れながら、あらためて考えていました。
誠実に、全力で。