K0183のトーク
トーク情報- K0183
K0183 見城さん
2月1日という日が、見城さんにとって「最も決定的な日」になったという言葉の重さに、胸が詰まります。ご投稿を拝読し、静かな、しかし抗いようのない喪失感に胸が締め付けられました 。感想を添えさせてください。
いま、職場の机の本棚に『男の粋な生き方』があります。 私が「見城さん」という存在を知ったのは、2011年の震災の後でした。コンビニでたまたま目に留まった「GOETHE」の6月号。ちょうど『男の粋な生き方』の新連載が始まった号でもあり、「酒について」書かれていました。そのカッコよさに魂を射抜かれました。石原慎太郎さんがいなければ、私は見城さんに出会うことはなかったと思います。
『男の粋な生き方』は私のバイブルの一つとして、何回も読み返しました。一人でバーに行くときは、カウンターでよく読んでいました。石原慎太郎さんの言葉に憧れ、ドライマティーニを嗜み、粋な男を目指してきた歳月が、もう15年経つのだと時間の速さに驚いています。
先日ランボーについて書かれている章を読みたくて、たまたま職場に持ち込んでいました。命日だと知ったいま、机の上のその一冊が、静かな灯みたいに見えます。
「2人とももう居ない」という厳粛な事実。 失われたものの不在が、どれほど重く、どれほど痛いか。 その言葉から、見城さんの深い喪失感と孤独を感じます。今日もたった独りで熱狂のど真ん中に立ち続ける見城さんを、心から敬愛しております 。
本日もよろしくお願い申し上げます。 K0183 見城徹見城徹 イギリスの不世出の名ラガーといわれたある選手が、ある大試合でタイムアップぎりぎりに逆転のトライを挙げた。大観衆は総立ちとなって歓声を上げたが、レフリイの無情のホイッスルが鳴り、寸前に反則がありトライは認められず、そのままノーサイドとなって試合は彼のチームの負けとなった。
しかし試合後も、あの時のレフリイの判定が正しかったかどうか、しきりに議論の的になったが、当の選手は、
「ラグビーの試合ではレフリイは神に等しい」
と一言いっただけで、彼は一切ものをいわなかった。当時のこととてビデオテープもなく、判定が正しかったかどうかは遂に判定されずに終ったが、人々はその惜敗に奮起して次のシーズンの彼の活躍を期待したが、第一次大戦が始まり、世の中はもはやラグビーどころではなくなった。
その戦争の最中、ある激戦地の野戦病院で、ある軍医が重症を負った一人の兵士を看護した。兵士の認識票を見て、医者は驚いた。ラグビー気狂いだった医師にとっては忘れ難い名前、かつてのあの大試合のヒーローが、この重症の兵士だった。
それを知って医師は看護に専心したが、傷は重く、遂にその兵士は死んだ。
彼の臨終の際、すでにファンと選手として相識る中になった医師が、かつての名選手に、何かいい残すことはないか、と尋ねた時、死に際の懺悔の聴聞を終った後、件の選手はかすかに唇を動かし、聞きとり難いほどの低い声でいった。
「あの試合のあのトライは間違いがなかった。レフリイが間違っていたのだ」と。
一生をかけた遺言としての、この言い訳を信じぬものがどこにいるだろうか。
⬆︎ これが石原慎太郎[男の世界]の中の《男の言い訳》の文章です。
僕はこれを読んでラグビーを生涯やることを決めました。- K0183
K0183 見城さん
いつもあたたかいお心遣いをありがとうございます。
三上雅博さんがリトークされた2018年2月のご投稿を拝読し、胸が震えました。私なりに、この「言い訳」という名の「真実」に想いを巡らせてみました。感想を添えさせてください。
人が「何を守って生きたか」を突きつけられた気がします。
勝敗の受容ではなく、「不条理」を飲み込み、一切を語らずに去る潔さ。その沈黙と孤独の重さに、男の美学の極致を見ました。「誤解を飲み込み、理解を求めない覚悟」が、そこには脈打っています。
死の淵でようやく告白できた、人生をかけた一言。
それは、奪われたまま終わっていく人生の、たった一つの「真実の回収」に感じました。
生涯をかけて守り抜き、最後の最後に解き放つ。
まさに、魂が放った「栄光のバックホーム」。
「一生をかけた遺言としての、この言い訳を信じぬものがどこにいるだろうか」——石原慎太郎さんのこの言葉が、深く胸に突き刺さります。
「必ずやって来る死の瞬間に微かに笑いたい」
誤解を恐れず、理解を求めず。ただ真実だけを抱いて、最期まで守り抜く。それが「男の粋な生き方」なのだと、改めて胸に刻みました。
本日もよろしくお願い申し上げます。 K0183 見城徹見城徹 角川書店に17年いた。41歳で取締役編集部長になった。上出来だった。楽しかった。直木賞作品を5本作った。森村誠一[人間の証明]、松任谷由実[ルージュの伝言]を始めベストセラーを次々と送り出した。角川書店のままでいたかった。突然に起きた角川春樹社長の逮捕。恩義のある角川春樹さんが社長ではない角川書店に残る気はなかった。出版社を作ると決めたあの日。100人が100人、絶対に失敗すると言った。新しい出版社が成功した例などなかった。しかし、付いて来てくれる部下のためにも作るしかなかった。名前は五木寛之さんが付けてくれた。幻冬舎。あれから24年が経った。幻冬舎は潰れずに今も、ある。
- K0183
K0183 見城さん。
昨日の私の投稿にお言葉を賜りました。心に刻みます。
三上雅博さんがリトークされた2018年3月のご投稿を拝読しました。感想を添えさせてください。
「角川書店のままでいたかった」というお言葉の真意は、組織への愛着を超えた「角川春樹社長の角川書店にいたかった」という、深い恩義と純粋な想いだと、痛いほど理解いたしました。
形は違えど、私にも同じ経験があります。かつて私も、師と仰ぐ人の背中を追い、その人がいるからこそ自分の居場所を愛せました。
状況が変わっても、義理、人情、恩返しを貫いた。裏切りたくなかった。自分に嘘をつきたくなかった。人のことを悪くも言いたくなかった。
不条理を飲み込み、言い訳も弁解もせず、ただ自分の純粋さを抱きしめて守り抜こうとした――あの瞬間の震えるような想いが蘇りました。
圧倒的努力こそが運命を切り拓き、奇跡を必然に変えるのだという、何よりの勇気をいただきました。
「往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」
見城さんの戦い続けるお姿に、改めて深い敬意を抱きます。
私も自分の現場で、「正直、誠実、善良、真心」を尽くし、正面突破で今日を生き切ります。
本日もよろしくお願い申し上げます。