思い残すことなく死ぬために
トーク情報- 死ぬために生きる
死ぬために生きる 『編集者という病い』
2度目の読了。
僕は死ぬまでに、何度もこの本を読了することになるだろう。
事あるごとに、何かの節目に、僕はこの本を読み直す。
その時の僕がどんな状態であろうと、この本はきっと何かを問いかけてくる。
本のジャンルは何に分類されるのだろう。
ビジネス書?自己啓発?哲学書?何かのジャンルに分類するのも烏滸がましい。
この本を読むことで、見城さんを作り上げてきたもの、見城さんが作り上げてきたもの、骨格、血、肉、見城さんのさまざまなものが見えてくる。
僕はスポーツの世界でしか生きていない学のない男だが、この本を読み直したことをきっかけに、本を読むということにどっぷりとハマるかもしれない。
物語やエピソードが強力なのはもちろん、見城さんの考えをなどを伝える言葉の使い方が素晴らしく、やたらと引き込まれていく。
「悪魔のように繊細で天使のようにしたたかに」
「光と影」
「静寂の先には怒りのエネルギー」
「臆病な心の対極には信じられないほど大胆な行動力」
という、極端、対極、相反。
755でお食事を紹介される際にも感じる、「形容詞」と「形容動詞」の使い方の上手さ。
言葉って素敵だなと、こんな僕でさえ感じさせてくれる。
僕が持っているのは文庫版なので、本の最後には小池真理子さんの解説がある。
タイトルは「見城徹のエゴイズムとナルシズム」
僕は、見城さんのエゴイズムやナルシズム、即ち「自己肯定」のようなものは、徹底した「自己検証」、「自己嫌悪」、「自己否定」から来ているのではないかと思う。
だからこそ壁をぶち破り、理を無くせるような爆大なエネルギー持つことができるのではないだろうか。
『編集者という病い』
この”病い”を多くの人が持てたら、、、いや感じるだけでもいい。
きっと日本や世界は良くなっていくであろう。
偉そうに長く語ってしまった。僕みたいなものが感想を語るなんて烏滸がましいと思ったが、感想を書かないことの方が失礼だ。
そう感じさせてくれるくらい、熱狂を促してくれる本なのだ。
僕は僕の”病い”を患い生きていく。