思い残すことなく死ぬために
トーク情報- 死ぬために生きる
死ぬために生きる 2ヶ月後の復帰に向け、筋肉を戻して脂肪を落とすために、錘入りのリュックを担いで山をランニングしている。
熊などもたまに出る山なので、神経を張り巡らせながら走っている。
すると、神経を張り巡らせ過ぎて敏感になっている僕の頭上を、何かが掠めていくように飛んでいった。
映画や小説の中でしか出会ったことがない鳥が、首を回転させてこちらを見つめていた。
フクロウだ。実に田舎である。
「不苦労=苦労しない」など、日本ではなんとなく縁起がいい意味合いを持ち、ギリシャ神話でも女神アテナの使いとして、「知恵、理性、洞察力」の象徴という前向きな意味合いを持つ鳥だ。
しかし、アジアやアフリカの一部では、フクロウの鳴き声が聞こえると「死の前触れ」だと伝えられている地域もあるそうだ。
幸か不幸かどちらの前触れか。
そんなことはどうでもいい。
すっかり訛った身体に鞭を打ち、圧倒的努力で結果を掴む。
この身体が納得いく身体に仕上がるか毎日不安だが、暗闇の中でジャンプし続けるしかない。
僕は絶望しきって引退する。絶望しきって死ぬ。
そのために毎日やり切る。毎日生き切るのだ。
闘う。 - 死ぬために生きる
死ぬために生きる 『編集者という病い』
2度目の読了。
僕は死ぬまでに、何度もこの本を読了することになるだろう。
事あるごとに、何かの節目に、僕はこの本を読み直す。
その時の僕がどんな状態であろうと、この本はきっと何かを問いかけてくる。
本のジャンルは何に分類されるのだろう。
ビジネス書?自己啓発?哲学書?何かのジャンルに分類するのも烏滸がましい。
この本を読むことで、見城さんを作り上げてきたもの、見城さんが作り上げてきたもの、骨格、血、肉、見城さんのさまざまなものが見えてくる。
僕はスポーツの世界でしか生きていない学のない男だが、この本を読み直したことをきっかけに、本を読むということにどっぷりとハマるかもしれない。
物語やエピソードが強力なのはもちろん、見城さんの考えをなどを伝える言葉の使い方が素晴らしく、やたらと引き込まれていく。
「悪魔のように繊細で天使のようにしたたかに」
「光と影」
「静寂の先には怒りのエネルギー」
「臆病な心の対極には信じられないほど大胆な行動力」
という、極端、対極、相反。
755でお食事を紹介される際にも感じる、「形容詞」と「形容動詞」の使い方の上手さ。
言葉って素敵だなと、こんな僕でさえ感じさせてくれる。
僕が持っているのは文庫版なので、本の最後には小池真理子さんの解説がある。
タイトルは「見城徹のエゴイズムとナルシズム」
僕は、見城さんのエゴイズムやナルシズム、即ち「自己肯定」のようなものは、徹底した「自己検証」、「自己嫌悪」、「自己否定」から来ているのではないかと思う。
だからこそ壁をぶち破り、理を無くせるような爆大なエネルギー持つことができるのではないだろうか。
『編集者という病い』
この”病い”を多くの人が持てたら、、、いや感じるだけでもいい。
きっと日本や世界は良くなっていくであろう。
偉そうに長く語ってしまった。僕みたいなものが感想を語るなんて烏滸がましいと思ったが、感想を書かないことの方が失礼だ。
そう感じさせてくれるくらい、熱狂を促してくれる本なのだ。
僕は僕の”病い”を患い生きていく。