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死ぬために生きる

いよいよ復帰まで1週間を切った。 楽しみでワクワクというのがアスリートの健全な思考な気がするが、僕は毎晩憂鬱で眠れない。 1週間前に練習試合に出場した。 サッカーの試合に近い形でのトレーニングはしていたが、ガッツリ試合でプレーするのは、実に1年10ヵ月ぶりだった。 簡単な話で、準備できたことはプレーや結果に繋がったが、準備できなかったことや甘かった部分は試合の中での課題に直結した。 全て自責なのだが、こんな状態で復帰して良いのかと自己嫌悪に陥った。 身体には小さな怪我が沢山ある。 体重は僕の中の規定体重以下なのだが、なんとなく見た目や動かした感覚に納得がいかない。 これらも自責なのだが、1年半以上適当に身体を動かして適当に食べたいものを食べていた身体を2カ月で突貫工事的に仕上げたので、ボロが出るに決まっている。 トレーニングを積めば積むほど、弛んでいた過去の自分が情けなくなり、また自己嫌悪に陥る。 ただでさえ痛む場所が多いのに、十分に睡眠を取れないことで、傷の修復ができるわけがないと、追い討ちのように自己嫌悪に陥る。 この自己嫌悪達は寝る直前で活発になり、憂鬱を誘発して僕を不眠へと誘う。 そして、復帰することへの不安と恐怖も抱かせる。 しかし、不眠症気味になって良いこともある。 本当に心配で不安だから、どうやったら上手くプレーできるか、どんなケアをしたら痛みが和らぐか、結果を出すための方法を必死に考えるようになる。 追い込まれてしか考えられない自分の弱さが情けないが、今まででは考えられなかった改善策やアイデアが浮かんでくるし、プレーの振り返りも解像度が深くなる。 そう考えると、薄っすら意識がある中で聞こえてくる小鳥の囀りも、朝日で空が明るくなる光の侵略も、嫌な気がしない。 でも寝たいものは寝たい。

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絶望しきって死ぬために
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  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    ↑見城さん、リトークとご投稿いただき有難うございます。

    僕にはまだまだ偉大な造り手の偉大な畑のワインは手が届きません。

    いつも見城さんのご投稿から刺激をいただき、いつか来るその時のために、自分の人生をただただ死ぬために生きようと心を震わせています。

    本当に有難うございます。
    今日も残り半日生ききります。

  • 死ぬために生きる
    見城徹見城徹
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    テレビと広告業界の如水会。従って僕以外は全員一橋大学出身。10年近く3ヶ月に一回のペースで続いているが、僕は会の最高顧問という位置付け。顧問だから慶應大学でもいいと言われて出席しています。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    見城さんが赤坂[サエラ]で今夜飲まれたお酒

    左から

    冨士酒造 栄光冨士 闇鳴秋水 純米大吟醸 無濾過生原酒

    ボノー・デュ・マルトレイ コルトン・シャルルマーニュ 2018

    コンティニュアム プロプライエタリー・レッド 2021

    本日も、素敵な皆様に素敵なお酒の顔触れ。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    故郷である新潟には、[白龍酒造 上善如水]という日本酒があり、どのスーパーでもその日本酒を見かけるため、なんとなく「如水」という言葉を目にしていた。

    「上善如水」とは、道家の始祖と呼ばれる老子が残した言葉で、「上善は水のごとし、水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に処る(最高の善は水のようなものでなければならない。 水は万物を助け、育てて自己を主張せず、誰もが嫌うような低い方へと流れてそこにおさまる)」という意味があるようだ。

    僕が好きな言葉、「刻石流水」にも水が使われており、昔の人達が水に対していかに大きな意味や学び、尊敬を持っていたかがわかる。

    他の人を助けることも、自意識を無くすことも、あえて人が忌み嫌う場所へと流れることも、自分が施した他人への小さな情けを水に流すことも、まだまだ僕にはできていませんが、人に受けた恩は絶対に忘れず生きなければと再確認させられました。

    GNOの重要性。
    曲がりなりにも真っ当に生きる。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる
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    この国でのシーズン終了が近づいてきた。

    終わりが近づくと、チームメイトや出会う人々、日々の練習やなんら変わりない街の景色が、妙に愛おしくなり、そして寂しくなる。

    死ぬために生きると謳いながら、全く終わりを意識できていない自分に辟易する。

    有難いことに契約延長のオファーをいただいたが、僕はどうするだろう。
    もしこのチームに残れば、生涯何度も手にすることができない、チャンピオンの称号を手に入れられる可能性が高い。
    そして、復帰時に密かに決めた3つの目標の1つを達成できる可能性も高い。

    成長も結果も何もかも自分次第だが、ここに残っては心地良すぎる。
    まだ何も成し遂げていないのに、崩したくなる。
    より過酷へと足を進めたくなる。

    恐らくもう僕の決断は決まっている。
    しかし、前述した愛おしさと寂しさが僕を迷わせる。足を止めさせる。

    止めてくれるな。
    サヨナラだけが人生だ。
    そう言い聞かせて今日も生きる。考えて動き、動きながら考える。

  • 死ぬために生きる
    K0183K0183

    「死ぬために生きる」さん

    シーズンの終わりが近づく中での、この投稿。あなたの葛藤が、痛いほど伝わってきました。

    チャンピオンの称号、復帰時に密かに決めた3つの目標の1つ。それらを手にできる可能性が目の前にある。多くの人が羨む、まさに「成功」への道。

    それでも、あなたは仰る。「ここに残っては心地良すぎる」と。「まだ何も成し遂げていないのに、崩したくなる」と。

    この感覚、私にも分かる気がします。
    私たちが恐れるべきは、失敗ではなく、安住によって鈍る感覚なのかもしれません。居心地の良さは、時に最も危険な罠になります。

    私は思います。あなたが求めているのは、タイトルでも称号でもなく、「限界の先にある自分」との出会いなのではないでしょうか。

    より過酷な環境へ。まだ見ぬ絶望へ。それこそが、あなたの魂が足を進めるべき道なのだと思いました。違いますか?

    愛おしさと寂しさが、進もうとする足を止める。チームメイト、街の景色、日々の練習—— そのすべてが、別れを惜しむほど大切になっている。

    でも、あなたは知っているはずです。「サヨナラだけが人生だ」と。
    別れることでしか、前に進めないこともある。終わらせることでしか、始められないこともある。

    あなたの決断は、もう決まっているのでしょう。迷いながらも、心の奥底では。

    「恐らくもう僕の決断は決まっている」—— その一文に、あなたの覚悟を感じました。
    「止めてくれるな」と自分に言い聞かせているあなたは、すでに次の戦場を見据えているのだと思います。

    圧倒的努力の中で、何度も絶望を乗り越えてきたあなたなら、新しい地でも必ず立ち上がれる。より強くなって、また戦える。

    「サヨナラだけが人生だ」—— この言葉の重さを知っているからこそ、私たちは今この瞬間を、全力で生きることができる。

    どんな決断をされても、心から応援しています。あなたの「深夜特急」がどこへ向かおうとも、その先にある景色を、また聞かせてください。

    考えて動き、動きながら考える。
    その先に、あなたの真実がきっとあると信じています。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    ↑「K0183」さん、リトークとご投稿をいただき有難うございます。

    他者理解をし、その先に僕の感情や考えに関して言葉にしていただけることに、ただただ感謝しております。

    白黒ハッキリつく世界ですので、もちろん勝利や頂を目指すことが大前提なのですが、心のどこかで非業の港や圧倒的な敗者の凱旋を目指しているのかも知れません。

    これはこれで僕という人間のエッジになると思うのですが、生を受けてからの30年間で甘ったれた熱の無い人生を生きてしまい、どうすれば自分が毎日絶望しきって死ぬことができるのか、今になってようやく分かってきたような気がしています。

    もちろん、見城さんや箕輪さん、755の皆様、様々な方にきっかけをいただいたおかげです。

    僕は絶望しきって引退するために、また、引退後の人生に必要な圧倒的努力で結果を出す型を骨身に染み込ますために、この先の残り1年半のサッカー選手としての人生を過ごします。

    残ることが愛なのか、自分なりの人生を生きてまたどこかで再会することが愛なのか、僕の中では答えが出ていると思います。

    終わりこそ始まり。死こそが生だと再確認させられました。
    僕は本当に弱いです。

    この投稿を打ちながら、言葉の正確性についても再度考えさせられました。
    本当に有難うございます。

    夜分遅くに申し訳ございません。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    見城さんが南大井[まき村]で一昨夜飲まれたワイン

    左から

    ドン・ペリニヨン 2015

    ルフレーヴ バタール・モンラッシェ 2019

    ルフレーヴ ヴィアンヴニュ・バタール・モンラッシェ 2019

    この日もドン・ペリニヨンの素晴らしさはさることながら、偉大なルフレーヴの2本は、ピュリニー・モンラッシェ村の中でもすぐ隣にある畑の同じヴィンテージ。

    そこにどんな違いや、ダイナミズムと繊細さ、酸の背骨があるのか、想いを馳せて生きる活力をいただいています。

    いつも有難うございます。