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死ぬために生きる
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年末は小学生年代のサッカー大会の運営と、ある高校のサッカー部のサポートに時間を費やした。 小学生も高校生も、真っ直ぐな想いで真っ直ぐな目で、淡くて切ない青春を生きていた。 僕もこの時間を生きていた。 あの頃を思い出すと、最高に幸せな淡い時間が僕の中で輝き出す。 しかしそんな輝きを消すように、後悔や憂鬱、恥ずかしさ、切なさが僕の心を覆う。 あの頃に中途半端な努力しかしてこなかったから、僕は今中途半端なサッカー選手なのだ。 家族はもちろん、関わってきてくれた全ての人に申し訳ない。 僕はそんな人たちや、何より自分への義理を果たすためにサッカー選手として復帰した。 もちろんそこまで長く生きられる保証もない。 そして自分にはそんな勇気はないと知りつつも、長く生きようとは思っていない。 もし幸運にも10年後、20年後、、、50年後に命があれば、その時々で幼少期を思い、淡く切ない感情になるだろう。 きっと30歳の今のことを思い出しても、その時々で淡く切ない感情になる。 あの頃の時間は戻ってこないし、今も戻ってこない。 今が1番若く、今圧倒的努力しなかったことは将来圧倒的後悔となって僕を襲うだろう。 そうなった僕は、命はありながら生きていない状態になっているはずだ。 時間と死は平等だ。 死ぬために生きろ。絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ。 死が怖い自分だからこそ、熱狂しなければいけない。 思いっきりの敗者の凱旋。 本当に見城さんに命を救っていただいた。 完全なる自己救済となるこの駄文。 どれだけ綺麗なことを口にしようと、一日一日を生ききり、死にきるしかない。 「日本代表になる」 「プロになる」 「全国選手権に出てみたい」 僕に目標を伝えてくれた小学生と高校生の真っ直ぐな目は、僕の情けなさや後悔をどこまで見通していただろうか。

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絶望しきって死ぬために
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  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    見城さんが渋谷[七代目松五郎]にて飲まれたお酒

    【ボーリュー・ヴィンヤード】オーナー・リーバが評論家ラムジーに出したワイン

    【エストレージャダム】 パーシーの苦い思い出

    モヒート

    (メニューの表記のまま)


    ボーリュー・ヴィンヤードは、1900年にボルドー出身のジョージ・デ・ラトゥールによって創設されたワイナリーで、禁酒法時代もミサ用のワインの製造が認められていた、数少ない、歴史あるワイナリーです。

    カリフォルニア、ナパ・ヴァレーのアイコン的なワイナリーとしても知られており、特にカベルネ・ソーヴィニヨンのワイン造りは世界的に評価されています。


    ボーリュー・ヴィンヤードのワインは、ダスティ・ホフマン演じるオーナーのリーバが、その場凌ぎで料理評論家のラムジーにサーブしようとしたワインだったと記憶しています。

    渋谷[七代目松五郎]さんのメニューの表記1つ1つがおしゃれ且つ鮮明で、料理を味わいたく、そして映画[ザ・シェフ]をすぐにでも観たくなりました。

    キューバサンドはもちろんのこと、前妻や子ども、同僚や友人、現代社会におけるSNSなど、様々なことを通してリズミカルにコミカルに、でもしっかりと男として人としての生き方を考えさせられる素晴らしい映画。
    今晩絶対に観る!

    遅くなり申し訳ございません。

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    死ぬために生きる

    見城さんが西麻布星条旗通り[サロン・ド・グー]にて飲まれたワイン

    ブラン・ガニャール バタール・モンラッシェ 2022


    ブラン・ガニャールは、1980年にジャン・マルク・ブラン氏と妻のクロディーヌ氏によって創設された名門ドメーヌ。

    クロディーヌ氏は、ブルゴーニュの名門ガニャール一族の本筋で、当初は祖父と両親から相続した畑でワイン造りをしていましたが、その後にシャサーニュ・モンラッシェでのワイン造りを開始し、2001年にはピュリニー・モンラッシェでのワイン造りも開始。

    見城さんが飲まれたバタール・モンラッシェの他にも、ル・モンラッシェ、クリオ・バタール・モンラッシェの"偉大な畑"を所有し、プルミエ・クリュも複数所有しています。

    遅くなり申し訳ございません。

  • 死ぬために生きる
    見城徹見城徹

    ↑ 解り易い解説を有難う。僕はブラン・ガニャールのワインを飲むのは初めてでした。しかも、
    バタール・モンラッシェ。楽しみにしていたのですが、2022年を選んだのに樽感が強く、爽やかな酸味やミネラル感がありませんでした。
    僕にとって白ワインは酸味とミネラル感が命。
    だから、若い年代のワインを選びます。ブラン・ガニャールというドメーヌの特徴を理解せずに選んだ僕のミスです。僕以外の人は「美味しい」と言って飲んでいましたから単なる好みの問題なんですが……。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる

    ↑見城さん、こちらこそいつも有難うございます。
    いつも本当に勉強になります。
    見城さんが大切にされている酸の背骨やミネラルが、若い年代なのにも関わらず樽感に押されてしまうのはなぜなのか…。

    ブラン・ガニャールの特徴として、樹齢の高さ、収量の低さ、新樽比率の高さなどがあるようなので、この辺りも影響しているのかも知れません。

    村、畑、土壌、気候、葡萄、樽、熟成期間…上げだすとキリがありませんが、一つ一つの掛け合わせで奇跡のワインが仕上がる事実。
    その先の運搬や保管などによっても、味や香りが大きく左右される、一期一会にも程がある、ワインの尊さを考え直す機会になりました。

    見城さん、リトークとご投稿いただき有難うございます。

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    死ぬために生きる

    見城さんが赤坂[88]にて昨夜飲まれたワイン

    クラウディ・ベイ 2024


    遅ればせながら、見城さんお誕生日おめでとうございます。
    僕は見城さんに命を救っていただきました。
    生きるとは、結果を出すとは、真っ当とは、日々教えていただいています。

    生涯、いえこの身が滅びようとも、永久に見城さんの後塵を拝します。
    これからも、見城さんの変わらぬご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

    ワインの紹介にて見城さんへの想いをお伝えしてしまう、僕の自我をお許しください。

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    年末は小学生年代のサッカー大会の運営と、ある高校のサッカー部のサポートに時間を費やした。

    小学生も高校生も、真っ直ぐな想いで真っ直ぐな目で、淡くて切ない青春を生きていた。

    僕もこの時間を生きていた。

    あの頃を思い出すと、最高に幸せな淡い時間が僕の中で輝き出す。
    しかしそんな輝きを消すように、後悔や憂鬱、恥ずかしさ、切なさが僕の心を覆う。

    あの頃に中途半端な努力しかしてこなかったから、僕は今中途半端なサッカー選手なのだ。
    家族はもちろん、関わってきてくれた全ての人に申し訳ない。

    僕はそんな人たちや、何より自分への義理を果たすためにサッカー選手として復帰した。

    もちろんそこまで長く生きられる保証もない。
    そして自分にはそんな勇気はないと知りつつも、長く生きようとは思っていない。
    もし幸運にも10年後、20年後、、、50年後に命があれば、その時々で幼少期を思い、淡く切ない感情になるだろう。

    きっと30歳の今のことを思い出しても、その時々で淡く切ない感情になる。

    あの頃の時間は戻ってこないし、今も戻ってこない。
    今が1番若く、今圧倒的努力しなかったことは将来圧倒的後悔となって僕を襲うだろう。
    そうなった僕は、命はありながら生きていない状態になっているはずだ。

    時間と死は平等だ。
    死ぬために生きろ。絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ。

    死が怖い自分だからこそ、熱狂しなければいけない。

    思いっきりの敗者の凱旋。

    本当に見城さんに命を救っていただいた。

    完全なる自己救済となるこの駄文。
    どれだけ綺麗なことを口にしようと、一日一日を生ききり、死にきるしかない。

    「日本代表になる」
    「プロになる」
    「全国選手権に出てみたい」
    僕に目標を伝えてくれた小学生と高校生の真っ直ぐな目は、僕の情けなさや後悔をどこまで見通していただろうか。

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    3回目の映画[栄光のバックホーム]。
    今回は2回目となる母と、初めてとなる姉と共に。

    やはりこんなにも多くの人の心のど真ん中に突き刺さる映画は、今後現れないのではないだろうか。
    今回も会場中が泣いていた。

    御多分に洩れず、母も姉もこれでもかと言うほどに泣いていた。
    母にはもちろん、姉にも想いを伝えたかった。

    父がサッカーチームのフロントで働いていたため、僕は気付くとボールを蹴り始め、3歳でサッカーを始めた。

    お恥ずかしい話だが、父はそれ以降職を転々とし、時に問題も起こした。
    父は僕が幼い頃に、母に「中途半端」と言われていた。その記憶が強く残っている。

    その反面母は姉と僕を精神的にも経済的にもしっかりと支え、それぞれの道へと送り出してくれた。
    僕が母離れできていないのもあるが、幼い頃の両親に対しての記憶はこんな感じだ。

    4歳年上の姉も常に僕の応援をしてくれていたが、僕はそんな姉に、1度だけすごい剣幕で怒られたことがある。

    「お前のせいでお母が全く休めてない」
    姉は心の底から母を心配に思っていたのだろうが、そんな思いに加え、休日の全てを僕の試合や遠征に奪われ、自分が母と過ごせないのが寂しかったのだと思う。

    こんな思いをさせてしまっていたのに僕は中途半端な人生を生きてしまっていた。
    本当に情けない。

    映画[栄光のバックホーム]は、横田慎太郎さんの物語であり、圧倒的努力で奇跡と栄光を掴み取った物語であり、善良、正直、真心、誠実、感謝、謙虚の物語であり、友人や家族との絆の物語だと思っている。

    横田慎太郎さんと母・まなみさんのご関係はもちろん、父・真之さんや、姉・真子さんとのご関係も本当に素敵だ。
    ありったけの愛も、家族だからこその微妙な関係性も、映画[栄光のバックホーム]には家族の姿が全てある。

    良いことだけが、華々しいことだけが家族じゃない。
    そんな中、ずっと支えてくれている姉に本当に感謝したい。

    「観たら人生が変わります」
    〇号試写会に呼んでいただいた際に、見城さんにはこのようにお声がけいただきました。

    僕が自分自身の人生に責任を持ち、運命を受け入れてその上で一日一生で生ききるのはもちろんのこと、家族や友人、全ての人を大切にしなければと常に考えられるようになった。

    自分一人では決して生きてはいけない人生で、周りの人のことを想い、考える。
    大きな意味で、本当に人生を変えてもらった。
    もっともっと小さなことにもクヨクヨしよう。

    一日一日、一瞬一瞬を大切に生きよう。
    ありったけの愛で誰かを抱きしめよう。

    僕は本当に横田慎太郎として生きられているか?
    僕の人生の栄光のバックホームは投げられるのか?
    弱く情けない自分の心を、今日も映画[栄光のバックホーム]に救ってもらった。

    4回目、5回目もご一緒する人は決まっている。
    でも1人でも行きたい。