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見城徹
宮下明美
宮下明美
見城さん。お久しぶりです。宮下です。 見城さん…今の宮下は、心が死んでいます。だから何も言霊たちが私には何も…何も無いんです。 見城さん。 助けてください。 申し訳ありません。見城さんに甘えています。 こんなくだらない事、返信無用です。 本当に申し訳ありません。 今の宮下は、転んで必死に砂利をつかんでいます。崖から落ちないように…。

必死によじ登るしかないよ。誰も助けてくれない。人は一人で人生に立ち向かうしかないんだよ。泣き言を言って何が変わる?自己満足するだけだろう?皆んな切なさや苦しさ、悲しみに耐えて戦っている。宮下一人が辛いんじゃないんだよ。宮下一人が不幸なんじゃないんだよ。しがみ付け砂利に。指から滑り落ちようとする砂利に自分の魂を刻み付けろ。地獄の果てまで行って来い。甘ったれるな。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹
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    同じく今朝の朝日新聞の書評欄。何で書評委員のアート作品を書評欄に載せなければならないのか?鏡を使って読め?僕には意味不明。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 新聞としての役割を朝日新聞は放棄しているとしか僕には思えない。書評をアート作品にして何の意味があるのだろう?読めない書評。鏡に写して苦労して読むのか?こんな疑問を呈する僕が時代遅れなのか?朝日新聞が進んでいるのか?どっちなんだろう?

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  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 毎週土曜日、朝日新聞の書評を僕は楽しみに待っている。びっくりしたなあ、もう。びっくりさせることが狙いならその目的は達している。

  • 見城徹
    ikutamaikutama

    好奇心で鏡を使わず読みました。その後、しばらく普通の文章が普通に読めなくなり、後悔しました。面白いけれど、意図せずスピードが落ちる。これが頭が柔らかくなるということなんですね。

  • 見城徹
    見城徹

    僕は横尾忠則さんの自己満足に朝日新聞は利用されただけのように思えるのだが……。
    勿論、書評とは批評対象をダシにした個体の表現である。この書評が表現というアート作品だとしても、朝日新聞の書評欄でやる必要があったのだろうか?しかし、こんな風に僕に考えさせているだけでこの試みは成功しているのかも知れない。
    僕はこの試みを否定する。書評は読めなければ意味がない。書評はアートではない。