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見城徹

ジムで運動着に着替えてからも必死でトレーニングを回避する理由を考えてサウナに直行しようと思いましたが、回避する理由が見付かりませんでした。 今、全てのトレーニングを終了してジムに併設されたラウンジで豆乳を飲みながらこの文章を書いていますが、気分爽快です。自分の弱さに打ち克った爽快感。余分なものが削がれて行く爽快感。大好きな店での夜の会食が益々楽しみになりました。こんな風に小さな葛藤をしながら僕の毎日は過ぎて行きます。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    2025年7月13日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2019年3月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    おはようございます。皆さん、感想を有難う。27年間、僕は尾崎豊を聴く気持ちになれませんでした。それなのに何故、[徹の部屋]で尾崎豊をやろうと思ったのか?それはのたうち回って生きた尾崎豊の本当の姿を知って欲しかったからです。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2019年3月の親父の投稿のリトークです。

    僕は中学校の卒業アルバムに尾崎豊の「卒業」の一節を書きました。

    あと何度自分自身卒業すれば
    本当の自分にたどり着けるだろう
    仕組まれた自由に誰も気づかずに
    あがいた日々も終わる
    この支配からの卒業

    それだけならただむず痒いだけの思い出でしたが、後の奇跡に繋がっているのです。この出来事ひとつとっても、親父に出会う僕の人生の伏線だったのだと思います。
    僕には運命に導かれている様に感じるのです。たまたまですが、そう思いたいのです。
    中学生の頃、「15の夜」を初めて聴いた時、僕はその魂を吐き出す様な絶唱に心を奪われてしまいました。その時、尾崎豊はもうこの世にいませんでした。
    「シェリー」「cookie」「Forget-me-not」。当時好きだった楽曲を挙げたらキリが無いですが、中学生の僕は尾崎豊の世界観に夢中になっていました。病的なまでに繊細で、今にも壊れてしまいそうで、あまりにも脆くて、儚くて。当時の僕には痛々しいその姿が、なんだか自分と重なって見えたのです。
    親父と尾崎が過ごした日々を思うと胸が痛くなってきます。その想像を絶する日々のおかげで僕は尾崎豊と出会えました。親父に感謝ばかりです。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。