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見城徹

七色息子へ。 七色の虹が終わる時、息子は父にならねばならない。少年は男になり、王子は王となる。 現実と折り合い、自然と和し、時間に染まる。つまり、成熟するのだ。悪を引き受ける。矛盾を呑み込む。 十二の原色を全部混ぜると深い黒になる。 真昼の明るさに夜の闇の深さが解るものか。 ニーチェの言葉だ。 人はやがて漆黒の闇を生きねばならない。 それがこの世に生を受けた者の宿命だ。 七色息子は漆黒の父になる。 そこからだ、人生が始まるのは。現実、自然、そして時間。 [無謀漫遊記]は人間の宿命と戦う人々、ひとりびとりの物語なのだ。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    親父と慕う「見城徹」の言葉を胸に、今日も茨の道を往く。
    本日は2024年11月の親父の投稿のリトークです。

    百折不撓。不撓不屈。捲土重来。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    秋山純秋山純
    投稿画像

    明日のプロダクションノートを
    書いています

    明日から大阪、福山と、四日間の登壇ツアーへ行くので、ストックしておきたいのですが…

    2014年8月の日々は、サラッと書くことは不可能

    福山では熱すぎるロケ
    東京では、見城さんの「スポーツ紙一面で情報解禁」計画

    スタッフ、キャスト、ワンチームで
    「たった一人の熱狂」な日々でした

    2
  • 見城徹
    見城徹
    投稿画像

    昨日、友人がプレゼントしてくれた
    クロムハーツのスタジャン。昨日はスーツでしたが着てみました。

  • 見城徹
    見城徹

    2025年11月5日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2024年11月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    1970年11月25日は晴れていた。両親と妹が静岡県清水市の小糸製作所の社宅から神奈川県相模原市に買った小さなプレハブ住宅に引っ越して来て、僕も東京都目黒区柿の木坂の下宿を引き払って合流したばかりだった。僕は慶應義塾大学法学部政治学科の2年生だったが授業には殆ど出ることはなく、鬱々とした日々を実家で過ごしていた。三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入して自決。衝撃的なニュースをテレビが映し出していた。呆然としてテレビに釘付けになった。その後のことは覚えていない。翌朝、自転車を飛ばして小田急相模原駅の売店で新聞全紙を買い、駅構内にある[箱根そば]のスタンドで「コロッケうどん」を食べたのだけは何故か鮮明に記憶に残っている。1970年11月25日は衝撃的な日だった。行為することは死ぬことだ。漠然とそう思った。
    1972年5月30日。奥平剛士、安田安之らがイスラエルのテルアビブ空港を銃撃。空港警備隊に蜂の巣のように撃たれながら自分の足元に爆弾を投げて自爆した。この2日で僕の青春は終わりを告げた。僕は狡猾にこの世界で生き延びる道を選んだのだ。三島由紀夫の死から54年。世界はこともなく僕の前に佇み、僕は73歳になって生きている。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜           
                   三島由紀夫辞世


    今日にかけてかねて誓ひし我が胸の思ひを知るは野分のみかは
                    森田必勝辞世

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    親父と慕う「見城徹」の投稿を毎日読み返し、生きる指針とさせて頂いております。
    本日は過去の投稿より、2024年11月の投稿をリトークさせて頂きます。

    「行為することは死ぬことだ」。
    死の美学。生きる勇気と死ぬ覚悟。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。