Kazuki本田圭佑さんが「人よりも深い谷を経験した人間にだけ高い山に登れる。」と言っていましたが、やはり何かを得るためには何かを失わなければいけないのですね。全てはプロセス、見城さんの言葉に本当に助けられます。
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 三上雅博三上雅博 えんじゅの並木路で 背をおさえつける
秋の陽なかで
少女はいつわたしとゆき遇うか
わたしには彼女たちがみえるのに 彼女たちには
きっとわたしがみえない
すべての明るいものは盲目とおなじに
世界をみることができない
なにか昏いものが傍をとおり過ぎるとき
彼女たちは過去の憎悪の記憶かとおもい
裏ぎられた生活かとおもう
けれど それは
わたしだ
生まれおちた優しさでなら出遇えるかもしれぬと
いくらかはためらい
もっとはげしくうち消して
とおり過ぎるわたしだ
ちいさな秤でははかれない
彼女たちのこころと すべてたたかいを
過ぎゆくものの肉体と 抱く手を 零細を
たべて苛酷にならない夢を
彼女たちは世界がみんな希望だとおもっているものを
絶望だということができない
わたしと彼女たちは
ひき剥される なぜなら世界は
少量の幸せを彼女たちにあたえ まるで
求愛の贈物のように それがすべてだそれが
みんなだとうそぶくから そして
わたしはライバルのように
世界を憎しむというから
ーーー吉本隆明『少女』
「荒地詩集1956」(昭和31年)所収