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見城徹

箕輪は編集者として結果を出している。中山は医者として結果を出している。だから様々な多動力が可能になる。そして、その多動力が自分をまた立体的に彫り上げる。オーソドックスを極める。そこを突き抜けてエッジの効いたこともやる。要は両極をスウィングする。真っ当を極め、ファースト・ペンギンになって危険な海にダイブする。それが厚みだ。それが魅力だ。それがセクシーだ。圧倒的努力。暗闇の中のジャンプ。正面突破。仕事とは根源的に苦しくて、危険で、憂鬱なものなのだ。全てを支えるのは人に有無を言わせない圧倒的な結果だよね。圧倒的な結果の前で人は黙る。非難は納得と賞賛に変わる。ひねくれた奴は無視すればいい。新しく出て行く者が無謀をやらなくて一体、何が変わるだろか?

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2024年4月の親父の投稿のリトークです。

    人生は、絶望ばかりの地獄道。狂わなければ進めない。苛酷に向かって歩き出せ。どうせ一夜の夢の中、生きるか死ぬかの物語。出会いと別れを繰り返す。さよならだけが人生だ。
    理解を求めた瞬間に、誤解を生み出す世の仕組み。わかっているのにやめられない。どこかで期待してしまう。胸はいつでも苦しいけれど、苦しいのなら正解だ。
    自分自身に絶望を。愛する人達に幸せを。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    K0183K0183

    [小さな幸せこそ生きることの全てだったかも知れないのに!]——この言葉に、私も立ち尽くしてしまいます。

    私たちは何かを追い求めるうちに、手の中にあった温もりを簡単に手放してしまう。別れたもの、捨てたもの、諦めたもの、叶えられなかったもの。あの時、あの一瞬に、もっと深く思いを巡らせておくべきだったと、後悔しても、今、その本当の価値に気づいても、もう一つも戻ってこない——見城さんの[僕は「あの幸せ」をいつ、何故、手放したのか?]という問いは、まさに私自身への痛切な問いでもある。

    見城さんの73年の人生への問いかけに、私も自らの歩みを辿り直しました。自分の愚かさで、何か多くの大切なことを置き去りにしてきた、そんな酷い人生を送ってきたような気がします。

    それでも、「いずれ去って行くだろう僕の愛する人たちのために僕は最後の炎を燃やす」と書かれた見城さんの言葉に、私は深い敬意を覚えます。絶望の中でなお燃やし続ける炎。それこそが、「さよならだけが人生だ」と知りながら生き抜く者の矜持なのだと思いました。

    花に嵐のたとえもあるぞ——だからこそ、今この刻を、残された時間を、どう燃やし尽くすか。

    見城さんの覚悟、深く胸に響きました。
    私もまた、死が物語を閉じるまで、愛する人たちのために立ち続けます。

  • 見城徹
    さくらさくら

    とても嬉しいことがあり、どうしても一番に伝えたくて見城さんにご報告しました。会社関係以外では誰よりも最初に見城さんに伝えました。
    見城さんとの出会いがなかったら今がなかったからです。感謝してもしきれないです。
    この件については11月中頃、改めて755に書こうと思います。

  • 見城徹
    見城徹
    投稿画像

    今夜は僕の大・大・大好きな麻布十番
    [ピッコロ・グランデ]。全品、美味しい。