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見城徹

春夏秋冬 作詞:泉谷 しげる 作曲:泉谷 しげる 季節のない街に生れ 風のない丘に育ち 夢のない家を出て 愛のない人に逢う 人のためによかれと思い 西から東へ かけずり回る やっとみつけた 優しさは いともたやすく しなびた 春を眺める 余裕もなく 夏を乗り切る力もなく 秋の枯葉に身をつつみ 冬に骨身をさらけ出す 今日ですべてが終るさ 今日で全てが変る 今日ですべてがむくわれる 今日で全てが始まるさ 季節のない街に生れ 風のない丘に育ち 夢のない家を出て 愛のない人に逢う となりを横目でのぞき 自分の道を確かめる またひとつずるくなった 当分照れ笑いが続く 汚いところですが 暇があったら寄ってみて下さい ほんのついででいいんです 一度寄ってみて下さい 今日で全てが終わるさ 今日で全てが変る 今日で全てが報われる 今日で全てが始まるさ

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹
    投稿画像

    シャンパーニュは僕の持ち込み。白ワイン2本はお店のおススメ。2本とも天ぷらにぴったりの素晴らしい選択。お値段もリーズナブル。

  • 見城徹
    死ぬために生きる死ぬために生きる


    見城さんが飲まれたワイン。

    左から

    サロン、ブリュット、ブラン・ド・ブラン、ル・メニル 2013

    レ・ヴィーニュ、デュ・プレシュール、ドメーヌ・ヴァインバック 2021

    サヴァニエドメーヌ、ベルテ、ポンデコート・デュ・ジュラ 2022

  • 見城徹
    雨音雨音

    ↑慢心や怠慢は、自分では気づきにくいものだけど、見城さんの言葉によって、それに気づかされることが、しばしば。

    見城さんの言葉が定点として、ぶれない軸として、心の真ん中にあることで、自分の状態を測れる。

    言葉は、単に知識や情報を獲得するツールではなく、心の物差しにもなるのだ。

  • 見城徹
    見城徹

    2025年6月1日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2017年7月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ⬆︎ 「月刊カドカワ」の2代目の編集長を引き受けた時、僕は2つのことを[極端]に変えた。1つはターゲットの年齢を40歳から20歳にした。もう1つは文芸誌だった「月刊カドカワ」を小説は減らさないで、音楽誌に見えるようにミュージシャンの内面の特集を組んだ。特集するミュージシャンを表紙にも起用した。負けている時は[極端]に振り切らなければ勝ち目は出て来ない。自分一人の[極端]な意思を押し通す。皆んなの意見を聞いたら[平均]になるだけだ。[平均]は勝っている時にしか意味がない。部数は1年で30倍になった。

    1
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2017年7月の親父の投稿のリトークです。

    極端こそが我が命。やるかやらないかでは無い。死ぬまでやるか、死んでもやらないか。それで死んでも構わないと思ってしまう僕は間違っているのかもしれない。後ろ指を指されても良い。否定されても良い。認められなくても、報われなくてもしょうがない。それをただただ受け入れる。死んだらどうせ楽になる。全てが無に帰すだけだから。どうせ死ぬなら熱狂しきって、絶望しきって、全てを出し切って、僕は死んでいきたい。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    てんあつてんあつ

    世に従(したが)はん人は、先づ、機嫌(きげん)を知るべし。序(ついで)悪(あ)しき事は、人の耳にも逆(さか)ひ、心にも違ひて、その事成ならず。さやうの折節(をりふし)を心得うべきなり。但(ただし)、病(やまひ)を受け、子生(う)み、死ぬる事のみ、機嫌(きげん)をはからず、序(ついで)悪(あ)しとて止(や)む事なし。生(しやう)・住(ぢゆう)・異(い)・滅(めつ)の移り変る、実(まこと)の大事は、猛(たけ)き河の漲(みなぎ)り流るゝが如し。暫(しばし)も滞(とどこ)ほらず、直(ただち)に行(おこな)ひゆくものなり。されば、真俗(しんぞく)につけて、必ず果(はた)し遂(と)げんと思はん事は、機嫌(きげん)を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を踏ふみ止(と)どむまじきなり。

     春暮れて後(のち)、夏になり、夏果(はて)て、秋の来(く)るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春(こはる)の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽(めぐ)むにはあらず、下(した)より萌(きざし)つはるに堪(たへ)ずして落つるなり。迎(むか)ふる気、下に設(まうけ)たる故(ゆ)ゑに、待ちとる序(ついで)甚(はなは)だ速し。生(しよう)・老・病・死の移り来きたる事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期(しご)は序(ついで)を待たず。死は、前よりしも来(き)たらず。かねて後(うしろ)に迫(せま)れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚(おぼえ)ずして来(き)たる。沖(おきの)の干潟(ひかた)遥(はるか)なれども、磯(いそ)より潮(しほ)の満(みつる)が如し。


    吉田兼好『徒然草』155段より


    残念ながらこの様な心境には未だ未だ至らず、未練がましく生き残って居ります。
    ご無沙汰して居ります。本の一瞬懐かしく戻りましたが、生来の気まぐれです。お赦しください。

  • 見城徹
    てんあつてんあつ

    現代語訳

     一番の処世術はタイミングを掴むことである。順序を誤れば、反対され、誤解を与え、失敗に終わる。そのタイミングを知っておくべきだ。ただし、病気や出産、死になると、タイミングなど無く、都合が悪くても逃れられない。人は、この世に産み落とされ、死ぬまで変化して生き移ろう。人生の一大事は、運命の大河が氾濫し、流れて止まないのと同じなのだ。少しも留まることなく未来へと真っ直ぐ流れる。だから、俗世間の事でも成し遂げると決めたなら、順序を待っている場合ではない。つまらない心配に、決断を中止してはならない。

     春が終わって夏になり、夏が終わって秋になるのではない。春は早くから夏の空気を作り出し、夏には秋の空気が混ざっている。秋にはだんだん寒くなり、冬の十月には小春の天気があって、草が青み、梅の花も蕾む。枯葉が落ちてから芽が息吹くのでもない。地面から芽生える力に押し出され、耐えられず枝が落ちるのである。新しい命が地中で膨らむから、いっせいに枝葉が落ちるのだ。人が年老い、病気になり、死んでいく移ろいは、この自然のスピードよりも速い。季節の移ろいには順序がある。しかし、死の瞬間は順序を待ってくれない。死は未来から向かって来るだけでなく、過去からも追いかけてくるのだ。人は誰でも自分が死ぬ事を知っている。その割には、それほど切迫していないようだ。しかし、忘れた頃にやってくるのが死の瞬間。遙か遠くまで続く浅瀬が、潮で満ちてしまい、消えて磯になるのと似ている。