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見城徹

1970年11月25日。毎年その日が来るとテレビの情報・報道番組は三島由紀夫の自決だけをクローズアップして三島由紀夫が自決した理由については殆ど言及しない。新聞も同様である。 三島由紀夫は日本国憲法の改正を訴えて自決したのだ。それを自らの死の大義名分としたのである。檄文を書き、演説をした。それくらいに大義名分にこだわったのだ。 美しい日本語で書かれた三島由紀夫の文学。それら全ての作品と自分の命を引き換えにしても、日本語で書かれた日本国憲法の欺瞞を許せないとしたのである。日本語とは思考し、書き記す自分の根源であり、日本国の歴史と伝統、文化そのものである。その象徴たる天皇陛下に万歳を叫んで、武士の様式で切腹する。 [豊饒の海]を書き上げ、生きる理由のなくなった三島由紀夫の死の理由としてこれ以上のものはなかった。後はどんな理由も取るに足らなかった。全ては用意周到に準備されたものだったのだと僕は思う。かくして神聖喜劇の幕は閉じられたのだ。三島由紀夫の自決から50年。 日本国憲法は未だに改正されていない。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2019年9月の親父の投稿のリトークです。

    よし、やろうと心に決める。それには飛び込む勇気と決死の覚悟が必要だ。自分でやると決めたから、逃げ出したくはないけれど、視界の先は真っ暗で、不安に押し潰されそうになる。
    辛い。苦しい。泣きそうだ。心はもう折れそうだ。やめたらきっと楽になる。そんな甘美なる誘惑に吸い込まれてしまいそうだ。
    けれど自分でやると決めたから、決して逃げ出したくは無い。たった一度の人生だから、どこまでやれるか試したい。僕は僕の限界を知りたい。精神はすこぶる弱いけど、それを補える程に体力だけは有り余っているからきっとなんとかなるはずだ。馬鹿にしか出来ない事もある。
    僕は激流の中の竜門に、挑み続ける鯉でありたい。辛くても、苦しくても、自分を信じてこの道を進め。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹
    小菅健司
    見城さんの著作は全て拝読し、後輩にも本のプレゼントをしていましたが、私はどこか安全地帯にいました。55歳を迎え、まだ見た目、優等生をきどる自身に自己嫌悪の毎日でしたが、755を知り一文字一文字を魂に刻むうちに、残り人生の指針を見城さんと共に生きる事に決めました。よろしくお願いします。

    これまた、畏れ入ります。こちらこそよろしくお願いします。

  • 見城徹
    斉藤徹斉藤徹

    今日はノンアルで朝を迎えた。怠さも言い訳も、酒と一緒に置いてきた。冴えてる頭で、今日も一日をぶつかりにいく。向かうのは、正直気が重い会議。でも、嫌なことから逃げずに、自分の手で流れを変える。そう決めてる。