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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    2026年8月31日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2026年1月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    奥平剛士 遺書

    ご無沙汰しております。今ローマから書いています。これが最後の手紙になるでしょう。国を出る時から生きて帰ることはないときめていましたが、不思議に今まで生きのびて、多くの人にあい、多くの事を知り、そして、最初の考え通りの路を行こうとしていること、何度考えても、ありがたい事だと感じます。思う通り、わがままいっぱいにさせていただきましたこと、お礼の言いようもありません。ついに孝養のこの字もさせていただくひまもありませんでしたが、もしも任務が許すならば、いつも第一にそれをしたいと思い続けていた事は、わかって下さい。我々兵士にとっては死はごく当然の日常事ですが、ただお二人が嘆かれるだろうこと、それだけが今僕の心を悲しませます。ベトナムで今死んでいく数千の若い兵士、こちらで、又、世界の至る所で、革命のために死のうとしている若い兵士たち、僕らもその一人だし、あなたがたも彼らのために泣いている何千何万の父や母の一人であること、こうした我々の血と涙だけが何か価値のある物を、作り出すであろう事をいつもおぼえていて下さい。
     ローマの空は明るく、風は甘いです。町は光にあふれています。少年時よみふけった、プリューターク*の思い出が町の至る所で、僕を熱くさせます。仕事がすみしだいお二人のもとに帰ります。
     ではお元気で。さようなら

    剛士

     お守りはちゃんと持って行きます。写真**といっしょに。(1972年5月29日)」

     * 『プルターク英雄伝』のこと
     ** 早世した長兄の写真のこと

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    奥平 剛士(おくだいら つよし)
    1945年(昭和20年)7月21日 - 1972年(昭和47年)5月30日)は、日本の新左翼活動家、テロリスト、革命家。日本赤軍創設メンバーで最高幹部。同じく日本赤軍メンバーの重信房子は戸籍上の妻、奥平純三は弟。山口県下関市生まれ。1960年に山口県立下関西高等学校に入学したが、6月に岡山県立岡山朝日高等学校に転校。
    1964年、京都大学工学部に入学。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2026年1月の投稿をリトークさせて頂きました。

    僕もかつて行かせて頂いた、ローマの景色が頭の中を巡ります。己の信念のため、純粋なまでに殉じる覚悟をしながらも、無邪気に笑う「奥平剛士」の姿を想像します。残酷な覚悟を決めた漢の背中は美しくもあり、哀しくもあります。
    死を意識することで、初めて生を実感する事が出来る。死の淵から生を照らせ。今日を大切に、懸命に、感謝の念で生きるのだ。

  • 見城徹
    りえりえ

    今日は恩師であり
    プロジェクトマネージャーとして
    携わらせて頂いている
    藤乃先生のラジオへ出演へ✨

    想いが込み上げて
    誰よりも先にうるうるしてしまい
    気付かれていないと思っていたら、
    しっかり藤乃先生は気付いていた

    同じ想いを持ち
    一緒の時間を走り抜けている
    この環境は決して当たり前ではない。

    感謝の気持ち忘れずに
    これからも一緒に走り抜けてい
    行きたいと思う。


    何よりハイスピード進んでいく
    藤乃先生のパワーに
    着いていくのが楽しくて仕方ない✨