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見城徹

↑ 道徳の授業の先生がまやかしの希望を説くような最悪の詩だと僕は思います。そんなことの果てに「サヨナラだけが人生だ」と于武陵は詩っているのです。寺山修司の11年前に生まれた吉本隆明に[少女]という詩があります。 えんじゅの並木路で 背をおさえつける 秋の陽なかで 少女はいつわたしとゆき遇うか わたしには彼女たちがみえるのに 彼女たちには きっとわたしがみえない すべての明るいものは盲目とおなじに 世界をみることができない なにか昏いものが傍をとおり過ぎるとき 彼女たちは過去の憎悪の記憶かとおもい 裏ぎられた生活かとおもう けれど それは わたしだ 生まれおちた優しさでなら出遇えるかもしれぬと いくらかはためらい もっとはげしくうち消して とおり過ぎるわたしだ ちいさな秤でははかれない 彼女たちのこころと すべてたたかいを 過ぎゆくものの肉体と 抱く手を 零細を たべて苛酷にならない夢を 彼女たちは世界がみんな希望だとおもっているものを 絶望だということができない わたしと彼女たちは ひき剥される なぜなら世界は 少量の幸せを彼女たちにあたえ まるで 求愛の贈物のように それがすべてだそれが みんなだとうそぶくから そして わたしはライバルのように 世界を憎しむというから 寺山修司にいつも思うのは「この人の世界への嫌悪と虚無は小手先だなあ」ということです。 パフォーマンスなんですね。短歌にはいいものもあるんですがこういう詩にはガッカリします。 てんあつを初め寺山修司ファンの方々には申し訳ありません。sandに対して悪意は全くありません。誤解なきように。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年2月5日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2021年4月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    言葉は生き方を決定します。言葉によって人は行為するのです。行為した時、言葉はその人の中で肉体化されるのです。ですから、言葉と行為は表裏一体です。その時、言葉は説得力を持ち、人を動かします。そこに結果が生まれます。言葉→行為→肉体化→結果→新しい言葉。生きるということはこの繰り返しです。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    僕は21歳の時に「理想」や「夢」に生きるのを止めました。いや、そこから逃げ出しました。だから、「理想」や「夢」という言葉が嫌いです。僕にとって肉体化出来なかった言葉だからです。
    [たべて苛酷にならない夢を/彼女たちは世界がみんな希望だとおもっているものを/絶望だということができない]
    吉本隆明の「少女」という詩の一節です。僕は食べて苛酷になる夢を飲み込めませんでした。 飲み込めなかった劣等感と自己嫌悪と向き合いながら、懸命に生きて来ました。
    21歳で死んだ僕に宛てて65歳の僕が書かずにはおれなかったのが文庫版「たった一人の熱狂」のあとがきです。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2021年4月の親父の投稿のリトークです。

    夢に打ちひしがれて生きてきた。悔しくて、情けなくて、悲しくて、夜も眠れなかった。そのうち僕は夢を語れなくなった。目の前の現実は夢や希望とはまるで対極にある。この現実を純粋なる眼でしっかり見据え、これで最期かも知れない今日と言う一日を、昨日までの弱い自分を殺しながら生きていく。
    今日も親父の755によって僕は言葉を獲得し、それを血肉と化していく。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 鰯を水と一緒にミキサーに入れ、全部砕いてスープにしたカッペリーニです。