三上雅博のトーク
トーク情報三上雅博 見城徹見城徹 静岡新聞夕刊の僕の連載コラム[窓辺]第7回目です。
『清水南高』(2019.2.18掲載)
高校からの下校途中、西折戸から乗ったバスを新清水で途中下車し、清水銀座の戸田書店によく立ち寄った。50年前の清水銀座は賑わっていて戸田書店は人で溢れていた。小田実「何でも見てやろう」、柴田翔「されどわれらが日々―」、五味川純平「人間の條件」、高橋和巳「邪宗門」等は戸田書店で買い求めた。
僕は本の巻末に買った日と書店、読了日を書く癖がある。蔵書を整理すると日記を付けていたせいもあり、あの頃の自分の心情が蘇ってくる。
「お前は何のために生きているんだ」
受験勉強に追われながら毎日そんな問いを自分に突きつけていた。
本を読む度にその世界に圧倒され、打ちのめされた。決して楽しい読書だったとは言えない。しかし、振り返ってみると高校時代の読書は今の僕を形成しているとハッキリと思う。大学に入って学生運動にのめり込み、挫折し、廣済堂出版に就職後、角川書店に移り、やがて幻冬舎を作った。
その原点は清水南高の風と空と海、初恋に涙し、友人と議論し、読書に入れ上げた3年間にあると思っている。
「月刊カドカワ」の編集長になった33歳の頃、親しかった楠田枝里子を清水南高や三保の松原、日本平に案内した後、高校時代によく通った清水銀座の「富士」という喫茶店に連れて行ったことがある。そこで紅茶を飲みながら彼女が言った言葉が忘れられない。
「なるほど。この町であなたは今の見城くんになったのね」
あの頃の僕を抱きしめたい気持ちだ。三上雅博 見城徹見城徹 静岡新聞夕刊、僕の連載コラム[窓辺]第9回『折戸の海』(2019.3.4掲載)
人生最大の窮地はMBO(経営陣による買収)による上場廃止を発表した時だった。2010年11月の初旬から臨時株主総会が開かれた翌年の2月15日まで、ケイマン諸島に突如設立された謎のファンド「イザベル」との熾烈な株の攻防戦は今も鮮やかに記憶に残っている。僕が全株の58%は所有していたが、相手に1/3強の株を握られ、敗色は濃厚だった。
上場廃止は株主総会で出席株数の2/3以上の賛成が必要なため、否決されれば銀行から個人として借り入れた数十億の借金を残したまま、正体不明のファンドを抱え、上場を維持しなくてはならない。睡眠3時間にも満たない日々が続いた。最初は狼狽したが、徐々に腹がくくれてきた。やるだけのことは全力でやり切って、ダメなら潔く散るしかない。
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
吉田松陰の歌が胸に沁みた。
臨時株主総会の前日、僕は折戸の海岸に佇んでいた。自然に体がここに向かっていたのだ。高校時代、何か悩みや辛いことがあると、放課後、砂浜に出てずっと海を見ていた。この砂浜には僕の青春の涙と汗が埋まっていた。海を見ながら心が澄んで行く気がした。翌朝、会社から臨時株主総会に向かう僕に取材陣がマイクを向ける。
「戦場に行って来ます」
それだけ答えて自分の車に乗り込んだ。雪が積もっていた。
結果は上場廃止が決議され、逆転で僕が勝った。報道陣が取り囲む。答えながら僕は初恋の彼女と歩いた折戸の海を思い出していた。