三上雅博のトーク
トーク情報三上雅博 見城徹見城徹 辛く厳しい道のりだったけど、自分がこうしようと決めたことは殆ど実現して来たと自分では思っている。旅だってテーマを決めて行きたいと思ったところに行って来た。だから、ここまではまあまあの人生だった。圧倒的努力の大半は報われた。圧倒的努力をしない人には運は微笑まない。69歳になってそれを実感する。圧倒的努力をする人には運も味方をする。僕は運も良かった。それは苦しい圧倒的努力をしたからだ。これからも圧倒的努力をする。圧倒的努力をしても手に入らないものは沢山ある。しかし、圧倒的努力をしなければ、たった1回の結果も手に入らない。その1回を積み重ねる。まあまあの人生にする。そういうことだ。
- 三上雅博
三上雅博 ↑
おはようございます。
2020年6月の親父の投稿のリトークです。
これほどの努力を人は運と言う。
運が味方し奇跡は起きるが、実は自分でそうなる様に仕向けている。
寿司屋にとって魚が無いのは致命的だ。台風などの影響で全国的に漁に出られず、市場から魚が無くなったとしても、僕の元には良い魚が集まってきてくれる。
僕は漁師さんから直接魚を仕入れたりはしない。必ず仲買さんを通す。それには理由がある。普段から付き合いのない相手が無い時だけやってきて、どれだけ金を積まれても、そんな相手に良い魚を渡してくれるとは到底思えないからだ。
僕は魚の値段の事を相手に言わない。いるか、いらないか。それだけだ。完璧無き世の中だ。勿論仕入れた物が目に見えない部分で駄目な時もある。そんな時は悲しくなるけれど、意図的な悪意が無い限りクレームは言わない。ただ、使わないだけ。
仲買さん達は皆、口を揃えて言ってくれる。三上はいつも運が良い。その言葉を僕は嬉しく思う。僕も自分でそう思っている。僕は魚に愛されていると信じている。
でもこれは運では無い。たったひとつだけの奇跡を誰に渡すのか。仲買さんの胸ひとつ。僕は僕に渡したいと思ってもらえる様に、そうせざるを得ない様に日々行動している。その努力を重ねているだけなのだ。
僕はいつも、声を大にして魚に愛されていると公言している。正確には魚に愛される様に仕向けているだけなのだ。
本日も皆様、宜しくお願い致します。