三上雅博のトーク
トーク情報三上雅博 見城徹見城徹 「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。
1969年6月24日、20歳で自殺を選択した立命館大生・高野悦子のノートに記されていた一文である。
あれから54年が経過した。僕は72歳になった。高野悦子が生きていれば74歳になるだろうか。
自分と同じ問題に悩み、自分と同じ理由で怒り、悲しみ、喜ぶ。そんな人は存在しない。それを解っているのに求めてしまう。相手を理解する。だから、相手も自分を理解して欲しい。その単純で自分勝手な論理から僕は未だに抜け出せないでいる。未熟な自分が演じる「孤独」という悲劇の主人公。人は誰もが独りだ。高野悦子が二十歳にして到達していた原点で僕は今日も踊っている。三上雅博 三上雅博三上雅博 ↑
おはようございます。
2023年5月の親父の投稿のリトークです。
並外れた感受性。細部まで神経が張り巡らされ一挙手一投足を見逃さない。親父はわずかな時間で相手の本質を見抜く。
瞬時に理解する洞察力。観察眼。だから時の総理大臣から道端の僕達まで、みんなが親父に相談し意見を求める。
そんな凄すぎる親父でも、未だ理解と誤解の間で悩んでいる。僕なんかが誰かをわかったような気持ちになる事も、誰かに理解してもらいたいと思う事も100万年早いのだ。僕はあまりにも未熟だ。
理解してもらえなくて当たり前。報われなくても当たり前。救われないのが人生だ。人は孤独だ。孤独に怯えながら、誠実と善良を積み重ね、感謝を忘れず生きていくしかない。
精進精進。ただ精進。I Will Go to War!
本日も皆様、宜しくお願い致します。- 三上雅博
三上雅博 並外れた感受性。空気の揺れまで感じ取る。
細部にまで神経が張り巡らされ、一挙手一投足を見逃さない。
親父は、わずかな時間で相手の本質を見抜く。
瞬時に理解する洞察力。観察眼。
だから総理大臣から、道端の僕達まで、みんなが親父に相談し、意見を求める。
これほどまでに圧倒的な親父でさえ、未だに「理解」と「誤解」の間で悩んでいる。
僕なんかが理解した気になることも、理解してほしいと願うことも、一億光年早い。
僕は、あまりにも未熟だ。
理解されなくて当たり前。報われなくて当たり前。救われないのが人生だ。
人は孤独だ。
孤独に怯えながら、誠実と善良を積み重ね、
感謝を忘れずに生きていくしかない。
往く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし。