三上雅博のトーク
トーク情報三上雅博 見城徹見城徹 また日曜日になった。70年間3800回ぐらい日曜日を迎えて来た。日曜日が終わり、また日曜日が来る。それを繰り返して人間は土に還る。本当は、時間などない。時間は人間が作った概念であって、あるのはただ肉体の成長と衰弱だけだ。生まれて死ぬだけだ。時間という概念の発明は言葉の発明と共に人類の最大の発明である。正確な言葉で思考する。言葉によって発想された時間という概念で、生まれて死ぬまでを過ごす。100年後も1000年後も10000年後もやがてすぐに来る。宇宙という摂理の中に人は一瞬の間、ただ在る。その悠久の中で一瞬、足掻く。泣く、笑う、怒る、喜ぶ。全ては死を迎えるための準備なのだ。徒労。それこそが人生。そう思えば今日の困難と憂鬱は何ほどのこともない。忍びて終わり悔いなし。
三上雅博 見城徹見城徹 秋元康僕はなぜ、全力で仕事をするのか?全力で仕事をして来たのか?自分でもわかりませんでした。でも、精神のアスリート、見城徹を見ていて気づきました。僕も“熱狂”していたかったんだ。下手な小細工をするより、正面突破の爽快感。まさに、暗闇でジャンプです。4月12日発売の「たった一人の熱狂」は、熱狂の面白さを思い出させてくれます。肩を痛めてまで、熱狂し続ける男、見城徹を尊敬します。多分、秋元は脇目も振らず一つのことに熱中する子供だったと思います。多分、他の子供よりマイナーなことに。
僕は子供の頃、妄想ストーリーを作るのが好きで、みんなの間で流行している遊びには背を向けて、一人で夢想する世界に浸っていました。そこには子供ながらにマイナーな性的な願望も関係していたような気がします。
秋元が高校時代から放送作家をしていたのも、当時の高校生からしたら亜流も亜流、大マイナーだったと思います。みんなは大学受験を目指しているのに、それには背を向けて、一人だけ放送作家にクールに熱中する秋元少年の姿は想像するだけで楽しいです。多分、まともに勉強していれば東大にも行けたかも知れません。
マイナーを極めなくてはメジャーには行けないと僕は思っています。マイナーを極める「集中」と「発想」と「熱狂」が、やがてメジャーを突き動かすんだと僕は経験で知りました。
秋元の仕事は[人々の無意識な領域]に突き刺さります。それは「計算」と「戦略」と「資本」だけでは成し得ません。秋元の中で燃え続けた、[小さいもの][片隅にあるもの][疎外されたもの]に対する孤独な熱狂が根底に横たわっているからです。
「固有名」から「匿名」へ。「定冠詞」から「集合名詞」へ。それは取りも直さず、マイナーを極めて大メジャーに突き抜ける前人未到の軌跡です。
僕にも子供時代から孕んでいる「集中」と「発想」と「熱狂」が七転八倒しています。
正面突破。
秋元の存在に刺激を受けて、今日もメジャーに突き抜けます。
たった一人の熱狂だけを武器にして。- 三上雅博
三上雅博 僕が鮨を創造する時に一番大切に思う事は「物語」。
プロローグで期待に胸を膨らませ、本編はただ夢中に、エピローグで余韻に浸ってもらいたい。口の中でゆっくりと移り変わっていくグラデーションの様な、切なく儚い物語。その物語を創り上げる為に人生の全てを捧げる。
極寒の中、氷水で鱗を取り、氷水で水洗いして、魚になるべく触れない様に、体温が少しでも伝わらない様に、まな板も氷で冷やし、氷水で麻痺するくらいまでこの手を冷やしてから魚をおろす。モーツアルトのアイネクライネナハトモジークを聴かせ、有難うと言いながら、誠実にその感動を、鮨へと転化させるのだ。塩の当て方、時間、温度、衛生。そうやって思いつく限りにディテールへのこだわりを積み重ね、スペクタクルな物語を創造していく。
人はこの物語に感動してくれるのか。報われなくても良いじゃないか。わかってもらえなくて当たり前。それでも僕はやり続ける。時間は余りにも足りない。だから立ち止まってはいられない。